歩き・み・きく歴史学レポート/佐賀市本庄町/末次・満穴 <調査者> 甲村恵子 林葉亜希子 私たちは、1月14日に佐賀市本庄町末次の三好幹男さんと、満穴の鬼崎和弘さんのところへ訪問しました。 (1)しこ名、ほりなどについて 覚えていないところもあるようだった。 (2)村の水利のあり方 末次・満穴では、北山ダムから水を取り入れ、水道やポンプを使っている。ポンプは大正時代から使っていて、15haあたりに1つのポンプという割合である。その辺りは平坦地であるので、井樋やいかりはない。(金立の地域では、ある)北山ダムから水を取り入れるため、用水は他の村と共有している。話をしてくださった方々は昭和生まれなので、共有の場合の受益村や配分に際しての特別の水利慣行については分からないと言われた。ポンプがない頃に水争いがあったということぐらいしか分からないということである。 その辺りは、北山ダムから水を取り入れ、筑後川や六角川からは離れた位置だった。それから、福岡では平成6年に水不足であったけれど、ダムのおかげで水対策はしなくてよかったそうである。 (3)村の範囲 末次ではよく分からないと言われましたが、満穴の村の範囲は地図上に表した。 (4)村の耕地 圃場整備以前も現在でも乾田で、米の取れる量に差はほとんどない。戦前の、とれた米の量はよくわからないと言われたけれど、戦後では600kg前後だということである。乾田であり、裏作も出来ると言うことなので、米と麦を作っている。現在では化学肥料を使用している。 (5)お話して下さった方の氏名と生年 末次 三好幹男さん(昭和11年) 満穴 鬼崎和弘さん(昭和7年) |