歴史と異文化理解A 現地調査レポート/佐賀市本庄町/大井樋

<調査者>

安武秀起

横山大輔

◎大井樋地域

・田のしこ名について

 田のしこ名は、いくつかの田をあわせて西頭、古屋敷という風に呼び、「今日は西頭に言ってくる」と言えば、西頭の辺りの田へ行くということになるそうだ。

 その中で、人の持ち田によって、前田や裏田という呼び名があるそうだが、これを調べるにはすべての農家を回るしかなく時間的に無理であった。

 

 

・村の水利慣行について

 灌漑用水の主なものは、多布施川から取り入れた、ふるえごの水である。大井樋は、水系が近くにあるせいで、昨年の大渇水時にもそれほど水に困ることはなかったそうだ。そのかわり、昔は大雨が降ると洪水で710日は水に浸かっていることもあったそうだ。しかし、その豊富な水量も昔よりは減った。その原因として第一に圃場整備が挙げられる。有明海側(クリークの下流地域)が圃場整備された為に、クリークの水の流れが良くなり、その為、水が少なくなってしまった。その対策としては付近に水門を作り、ダムの要領で水を塞ぎ止め、水が流れるのを防いでいる。

 第2の原因として、泥土上げの中止がある。昔は泥土上げといって、川の泥を取り除くのに34年に一度、1516人くらいで10日間程かけてやっていた。そして取り除いた泥は、もみがらを混ぜて肥料として使用した。しかし、昭和30年の後半位から泥の中にビニール等のゴミが混ざるようになり、泥土上げは行われなくなってしまった。その為、川底が浅くなり水量が減った。

 

 

・裏作について

 裏作は昔から行われており、昔はからしな(菜種)や空豆を作っていたが、現在は麦や大豆を作っている。しかし、その裏作も人手不足の為に、農家14の内、8しか裏作を行っていない。

 

 

・肥料について

 肥料は昔は前述の泥土と魚粉を使用していた。現在は科学肥料を使用し、またわらも人手不足の為、直接水田にもどしそれも肥料となっている。

 

 

・良田、悪田について

 この地域は前述の通り、昔から洪水がよく起こっている。その為、土地の高低が低いふるえご方面へ土が流れ込み、その結果ふるえご方面は土が肥えてきて西頭方面は土地が痩せている。

 

 

・大井樋地域の今後の展望について

 今後この地域は、農進地区に指定されていなかったり、圃場整備されていなかったり、後継者がいなかったりして農業は廃れて、徐々に宅地になっていくだろうということらしい。実際に西頭はすべて宅地となっている。また、過去に佐賀大がグラウンド拡大等の為、土地を買い取ろうとし、土地の人も大学になるならと承諾したが、佐賀大学の資金面等で問題があり、この話はご破算となってしまった。その他にも佐大附属の小・中学校になるかもしれないということだ。また、私たちが話しを聞いた馬郡さんのお宅でも、田をつぶしてアパートを建築中だそうだ。



戻る