歴史と異文化理解A 現地調査レポート/佐賀市本庄町/上飯盛

<調査者>

林田さおり

福嶋貴子

冬野愛子

 

○上飯盛(かみいさがい)

・話を聞いた人 古野尚司さん 大正6213日生まれ

 

・行動記録

 重松さんに紹介していただいた古野さんは、本庄公民館長をしている方で、成人式で忙しそうだったが、親切に話をしてくれた。本庄の田のしこ名や小字に詳しい人で、自分が作った地図や資料を見せて調査に協力してくれた。重松さんにも聞いた区画整理に関しては、10年くらい前から始まったとのことだった。また、水路も呑郷堀と川堀という大きい2本が形を変えてではあるが、残っているそうだ。

 

洪水に着いて聞いてみたところ、年に45回は起こっていた。標高の低い場所では2m40cm2m70cmほどしかなく、田畑は全て浸かってしまったらしい。対策を聞いてみたが、何もすることはなく、水が引くのを待つしかなかったということだ。現在は佐賀市が対策をたて、洪水になっても、水はけはずいぶんよくなっている。

 

しこ名については、この辺では田の等級によって呼び方が異なり、土地が肥沃なほうから松→杉→柳→谷の順にわけられている。正里と同じようなしこなのつけ方だった。今は区画整理によって地域がわかれているが、昔の呼び名は鍋島藩のころにつけられたらしい。

 

村の移り変わりに着いては、昭和15年には600戸ぐらいだったものが、現在では54005500戸にまで増加し、その中には農家ではない人も多く、昔から農業をしている人は土地を売って、遠くにより安くて広い土地を買って、そこで農業を営むようになったため、現在では本庄町の北部では話を聞ける人が少なくなったらしい。



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