『中世の村と人々』 現地調査報告書

<調査者>

川本幸徳

権藤修一郎

坂本祟

調査地:佐賀県佐賀郡東与賀町立野

調査日:平成7711日(火)

〜立野〜

お話していただいた方:中牟田義巳さん 大正9年生

           (立野地区の生産組合長さんの父)

 

・田のしこ名

たてんだ、やきなし、きたしんがえ、くだいぼい、あがえたて、かんのうら(寒ノ浦)

ごろまる、あげた、せいこね、おせんじょう

・クリークのしこ名

 おせんじょう、なかんすじ、くだいぼい

・橋のしこ名

 いしばし、くだいぼい、しいどぼいあんしん、たてんだ、ほうけん

・井樋のしこ名

 特になし

 

 

・村の水利のあり方

 水田にかかる水・・・北山ダムから引水

 利用する川・・・八田江を利用

 (井樋については特にしこ名がないので文字では書き表せないが、地図には表記している)

 用水の利用法・・・単独利用

     立野は淡水灌漑であるが、淡水(あお)をとるときは、役場・漁業と話し合いをしている。時期や時間などは別にないとおっしゃっていた。また、旱魃の酷いときは役場、農協の人が塩分を計ってとる。(20年ほど前から)

 

 

・堀やごみの所有権のあり方

 クリークのゴミが詰まったときには、その隣接する田に分ける分量を決めてゴミを汲み上げていた。

 

 

・水対策について

 旱魃のときは淡水(あお)をとるほかはない。

 

 

・去年の大旱魃が30年前の出来事であったら?

 上の方に水がなかったらお手上げ。田は枯れていただろう。

 

 

・村の範囲

 八田江、県道相応津・諸富線、おせんじょう(クリーク)まで。

※クリークのところはそれほどはっきりした境界ではないらしい。

 (地図に立野の範囲をペンで塗っておいた)

 

 

・村共有の山林はあったか?

 なし(しんがいと呼ばれる林はあったらしいが、それは個人の林であったという。

 

 

・村の耕地

 田に差はなし(米の出来具合は等しい。)

 

 

・村の変わり方

 大きく変わったのは、やはり圃場整備のとき。それ以前としては、昭和40年に行われた構造改善事業というもので少し道を改善したくらいで、他には別段変わっていないという。

 

 

・今後の日本農業の展望

 やはり、輸入米はつらい。青森の方は、例えばAという品種のなかにBという品種を少し混ぜて販売していると聞いている。そんなことしていてはダメだと思う。私たちは“ひのひかり”でがんばっていこうと思う、とおっしゃられた。



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