佐賀県現地調査レポート/佐賀郡東与賀町/住吉 調査地……住吉 1)しこ名について 田中堺、しんやしき、村東、一反堀(いったんぼり)、前田、しょうねまがり、開(ひらき)、じゃあかじんち、こじんち、利右ェ門(りえもん)がらみ、年得がらみ、伊勢もん ごえもん、さんまんがらみ、にまんがらみ ・住吉は最近干拓された土地なので結構新しく神崎などに比べるとしこ名はあまり多くない。 ・開(ひらき)のあるところは、堤防を作るためにそこから泥を取ったので、他の土地よりも低くなっているそうです。 ・しょうねまがりは道の曲がり角だからついたそうです。 2)村の水利のあり方について 住吉は北山から流れてくる水のみを使用している。「あお(潮位増により上昇した筑後川の淡水をとること)」は渇水のとき意外は使用しない。灌漑用の水はとってあるとのこと。クリークから水をとると塩分が入るので使うことができない。北山から流れてきたのを給水路に通し、地下にパイプラインを通して必要に応じてくみ上げている。 ・去年の渇水対策について 去年は川副町と東与賀町の間の八田江から引いてきた水を使った。 現在は幹線水路などきちんと整備されているが、30年前に去年のような渇水があったら全然駄目になっていただろう、とのことです。 ・水争いについて けっこうさかんにやっていたらしい。以前は渇水のときなど夜中に佐賀市内の川へ水を汲みに行っていたようである。滝瀬川の水をもらわなければならないこともあった。 結局、話し合った結果、護国神社のそばの川から全体へ配分されるようになった。 3)村の耕地について 比較的新しい土地であるので乾田、湿田の違いはあまりなく、土地の高低によって水を汲み上げやすい土地と汲み上げにくい土地とあった様子。 現在1反あたり8俵半くらいの収穫がある。以前は10俵ほどであった。これは需要にあわせて質の良い米に品種改良したためである。戦前は7俵ぐらいであった。 戦前の肥料には、いわしやさばを丸ごと使用していた。 4)昔も今もそれほど変化はなく、変わったことと言えばノミ、ハエがいなくなったことぐらいだそうである。 5)お話を伺った方 大正2年生まれ 山田ヤスオさん 昭和12年生まれ 山田弘昭さん 6)余談 石井樋に行って研究すれば詳しく分かると御指導を受けました。 |