歩き、み、ふれる歴史学(佐賀現地調査/佐賀郡東与賀町/今町)

<調査者>

吉村小緒利

横山佳保里

調査地 佐賀郡東与賀町今町

調査協力者 吉田道男 昭和7年生まれ

 

今町 田畑―小字石佐屋のうちに・・・コイシザヤ(小石ザヤ)

      小字三木黒木のうちに・・・サヤチ サヤモンモリ ジョウナシ

      (四本黒木にまたがっている)

      小字四本黒木のうちに・・・ジョウナシ(三本黒木にまたがっている)

      小字一本榎のうちに・・・ヤマトマエ(五本谷、下古賀四本谷にまたがって

      いる) スケノイビ(下古賀四本谷にまたがっている)

      小字二本榎のうちに・・・シャーモン スケノイビ

   ほか―村の中を通る道・・・ソンドウ(村道)

      五本谷で作った道・・・タンナカ(田ン中)コウサク(耕作) ノウド

      三木黒木を作った道・・・コウサク(耕作) ノウド

      一本榎と五本谷を分ける道・・・ニシンミチ、ニシノミチ、スグミチと色々

      な名で呼ぶ

   村外れであるが―小字下古賀二本松・・・ガンダ(下古賀一本松、下古賀三本松、

           下古賀四本谷、五本谷、一本榎にまたがる)

 

耕作ノウド、田ン中耕作ノウド

  その田を持っている人が土地をだい合って作った作業道。耕作ノウドの幅は六尺

スケノイビ

  いび(水門)があったためその名がつく。

サヤモンモリ

  森があったようである。

 

用水の名前は分からない。

 

 

用水源・・・川はすべてクリーク。溜池はない。

他の村と共有。ただ、その村の名前は分からない。

昔の配水の慣行・約束事は特になかった。また、昔の水争いはなかった。

 

 村の水利・・・55年前は水車で川から水を引いていた。現在は灌漑からポンプで水を汲み上げている。40年前から現在の満潮時に逆流してくる真水をクリークに貯水する方法は川から塩水をこし、水門を閉じ、近くの川に水を入れた。塩水のことをあおみずと呼んでいた。干潮のときは真水が多い。旱魃のときは上流にたまったゴミなどを取り、きれいにして水の流れを良くした。

 

 村の耕地・・・場所によって米の収穫量の差はなかった。戦前の化学肥料が入る前では、米は反当67俵であった。戦前の肥料は人糞、馬や牛の堆肥、小魚が使用されていた。化学肥料が入った後では米は反当910俵になった。

 

 村の道・・・村の人がそれぞれ自分の土地を出し合って村道を作った。村道は道幅が6尺ほどであった。古い道では田で作られた物のみが運ばれた。

 

 村のこれから・・・今後は後継と共同作業のことが問題となっていく。仕事を農協や部落の人に頼む必要がある。

 

 

<今町での行動記録>

道行く人に昔の田の名前に詳しい人を尋ねて、吉田正記さんを紹介していただいた。正記さんに尋ねたけれど御存知でなく、吉田道男さんを紹介していただいた。

 吉田道男さんのお宅を訪ねると留守だったため、近所の家を訪問したが、次に紹介された方の家も留守だった。

 この村ではほとんど農業をやめていて、田を人に貸しているところがほとんどだった。昔から今まで農業している人は吉田道男さんだけと言われ途方にくれていたところへ丁度帰ってこられたのでお話を聞くことが出来た。

      



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