【佐賀市蓮池町鋤崎地区】

現地調査レポート

944913 福田淳二

944915 古屋敷実

 蓮池村全体は昔は52,600石の鍋島の城下町で武家屋敷ばかりたちならんでいた。それで今でも、田んぼの名前を昔そこにあった武家屋敷の名前で呼んでいるそうです。

 

鋤崎

 地形が鋤の形に似ているためにこう呼ばれ、145年前は洋式練兵場だったそうで、他にも蓮池公園南でも洋式練兵が行われていたそうで、そのすぐ近くの方津ヶ宝や小杉という所で、いわゆる密貿易が平家の手によって行われていたことは確実だということです。

 

ひょうたん小路

 昔この辺りにひょうたんの形をした溜池があったので、ひょうたんこのように呼ばれているそうです。

 

かくし道

 北門、西門以外の出入り口に、高い位の者しか知らないかくし道というのがあったそうで、その仕組は道の途中に広いクリークがあり、ある一箇所だけその濁った水面から50cm下に出来た、幅1mくらいの橋がかかっていたそうです。

 

片平

 普通は城下町の道の両側に武家屋敷が建ち並んでいたが、ここは道の片側にクリークが通っていたために、道の片側にだけ屋敷があったので片平と呼ばれた。今でもこの辺りをそう呼ぶということだ。

 

鷹屋町

 昔この辺りに鷹屋があり、殿様の鷹を飼っていたのでこのように呼ばれているそうです。鷹飼いの人は実は殿様の密使の仕事もしていたそうです。

 

蓮池公民館長さんに聞きました



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