【佐賀市蓮池町見島中地地区】

火曜2現現地調査レポート

S1-16 944772 赤城和幸

944823 柳原茂基

944821 佐伯秀治

944802 岡部史彦

 

調査地名 見島(中地)

 *中地は見島の村の範囲にあったので見島について書きます。

 

1 話をしてくれた方の名前と生年月日

  福成清次さん 大正15年生まれ

 

2 しこ名の由来について

 しこ名前

・損田(そんだ)

 由来)ちょっとした大雨が降っただけで上流から水が流れてきて、損田の南(地図上の中地のすぐ下)の道が高いので、水がたまり稲が大損害を被るから。

・くつがた

 由来)この田の南西の堀の形がくつの形に似ているから。

・荒地(あるうち)

 由来)昔この地域は民家から遠く耕作されず荒れ地であったから。

・鷹やりゅう寺

 由来)鍋島藩の藩主が鷹狩りをしていたから。昔はあまりよい土地ではなく、荒野であった。

・ごんざ橋

 由来)この橋を作るときに大変貢献した地主の名前を付けた。

 

3 村の水利について

 この地区の水利は千代田の下なわというところから、せんとく寺まで引かれている用水の水が見島や中地にある堀にたまったものを使っていた。この用水によって千代田地区や見島、その下流の小松地区の田を潤していた。

 ・過去の水争いについて

 A地区(二十五ひかん)

  ここでは北部千代田地区と蓮池地区とで水争いをした。

 B地区(鷹りゅうじひかん)

  ここでは蓮池地区内で小松と見島(中地)の水争いをした。

 C地区

  ここでは見島の同じ部落同士で水争いをした。

 

4 1994年の大渇水について

・上流の神埼、千代田から中地江川を流れてくる水を、中地名の西の所で堰き止めて、3台のポンプで汲み上げた。これを7月中旬から9月初旬までの約1ヶ月半の間行った。

・上流の部落に水を5cmもらいに行った。渇水のひどいときに行ったからなかなか苦労したと話しておられた。

・普段は淡水(アオ)を仕えるのだが、昨年は塩分濃度が高く仕えなかった。

 

5 淡水(アオ)について

 1年中行っているが、冬は水があまり必要ないのでゴミをとるために一回ぐらいアオの水を取り入れる。水田に水が必要な時期は15日に一回の割合でおとずれる大潮の前後23日に一回、23時間取り入れる。

 井樋番は区長の仕事で報酬として一年に米1俵もらっていた。昔としてはすごい価値であった。

 

6 ゴミ(肥料)のとり方、ホリの所有権

・ホリの管理権はホリに面した田をもつ家が持っていて、ホリの中の魚やホリにたまった肥料を使うことができる。田んぼからホリの中に流れ出た肥料は掬って再び田に撒いて使う。

・他に肥料として大豆カス、ホシカ(小魚を乾燥させたもの)、シメカス(魚の油をとったカス)、これらを混ぜて混合して肥料として使っていた。肥料の保存場所としてレンガ造りの堆肥小屋があった。

 

7 昔、米がとれにくくなっていた損田は、土を30cmほど盛り上げて、今では他の土地と同じように収穫できるようになったし、荒れ地も整備されて、同じように収穫できるようになった。

 

8 今後の日本の農業について

 アメリカや他の国からの米の自由化によって、やはり日本も多角的、規模拡大することが必要であろうと言っておられた。また、日本は将来、日本の国自体が農業試験場のようになり、実際作るのは中国やインド、アメリカのようになるのではないかとも言われていた。



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