【佐賀市蓮池町見島中地地区】

現地調査レポート

下記12人で6箇所調査しました。

944664 岡畑 豪

944675 小宮 佳奈

944689 森みどり

944691 山本一史

944748 重松公平

944766 溝口 誠

944771 脇日出男

944874 矢ヶ部恵子

944881 行本恵子

944991 井上勇輔

944889 新屋直史

944910 野口文子

この地の中心者:岡畑、小宮、森、重松、溝口、野口

 

1 調査日 1227

2 圃場整備

 私たちは自分たちの車で佐賀へ行き、調査を行った。

 まずは調査の地「見島の中地」集落を探すことから始まった。古い地図と新しい地図とを見比べながらの作業であった。そうしてある程度ここであろうという集落を見つけると、次に公民館を探すことにした。そうしてここが「中地」であることを確認したのである。

 その公民館に車を停めて、次に話を聞ける老人を探す作業を徒歩で行った。我々は区長さんの名前が分からなかったので、区長さんを探すことにした。そこで公民館の近くにあった盛林寺を訪ね、そこで区長さんの名前と家とを聞いたが、区長さんの年はまだ若く、昔の話は聞けないと判断したため、そのお寺で昔の話が聞ける頭のはっきりとした老人がいらっしゃる家を聞いて、「福成清次さん」を紹介して頂いた。福成さん以外の方はいらっしゃいますか、とお尋ねしたところ、思いあたらないと言われ、その福成さんの話だけしか聞くことができなかった。

 福成さんに聞いた話の成果を以下に記すことにする。この話は録音カセットテープにとってあるのでそれも提出する。

 

<質問内容>

     田ん中のしこ名

     クリークの呼び方

     水利

     肥料

 

<成果>

・田ん中のしこ名、クリークの呼び方

呼び方などは地図に記したとおりであるが(地図は佐賀県立図書館所蔵)、特筆すべきこととに「しこ名」という単語は通じず、「昔、みんなの間で呼んでいた通称は?」と説明してはじめて通じた。

・水利については中地江川よりアオを取水、また、藩主のために城原川からきれいな水を引くため「底井樋」なるものを「川の下を通して利用していたそうである。「中地」は周りの土地に比べて水は豊富というわけにはいかなかったそうである。そのため、水争いもよく起き、「25整水門」を境に、北と南で水の取水を巡り争ったそうである。そして昨年の渇水の際も争いは起きたそうである。今記したように水に乏しく、他の田で710俵穫れていたときに、67俵の米しかとりないような「そんだ」と呼ばれていた田が存在していた。

 

  *二十五利水門写真。(写真省略)

  ここでよく水争いが起こった。



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