【佐賀市蓮池町小松、堂地地区】 現地調査レポート S1-18 944893 江藤正治 1 しこ名について 田ん中のしこ名について尋ねると「通称の呼び方はそういえばあっなあ〜」と言って、次のようなしこ名を教えてくれました。 ・こしまき 水路を越えて堂地の東端にある。なぜそのような名が付いたのかは分からないという。 ・よしのがり こしまきの南に位置する。 ・とはらのうら(戸原の裏) 戸原という有名な人がいて、その人の家の裏という意味。 ・しのつぼ 芙蓉中学校の東隣。 ・ひこぜえやしき 昔ヒコザエモンという人の屋敷の跡。以前は25aくらいあったが、今では5aにまで減ってしまった。 2 しいど、橋、ほり、いびなどのしこ名について 次に田ん中のほかにしこ名はないか尋ねてみると、次のようなものを教えてくれた。 ・うーぼり 大きな堀のことを言っていたそうで、今では埋め立てて細くなってしまった。 ・しんばし(新橋) その辺りの地名もしんばしと呼んでいたそうで、どちらが先かは分からない。 ・学校道 芙蓉中学校へ続いている道。 ・古賀道 古賀へと続く道だちから。 ・うまれーぼい(馬洗堀) 仕事をした馬は汚れるので洗ってやらなければならない。その洗ってやっていた堀。洗いの所がすごくなまりが入っている。 3 その他 ・芙蓉小、中学校 とても歴史のある学校である。約120年間も続いている。 ・出雲神社 昔は出雲大社と言っていてものすごく大きかったらしい。だから大社。その大きさを示す言い伝えに「鳥居が2里先にあった」ということである。なお、堂地の由来は、昔の神社のお堂の辺りだったからということらしい。 4 水利、水対策について 水争いの話は、昔からあまり聞かないと言うことだった。前の家が止めているから、自分の田にうまく入って来ないという個人的なものはあるが、たいしたことはない。 水路は昔レンガで作っており、どの田にも流れるようにうまく作っていた。今年の水不足では、海水が逆流して塩分濃度が上がったので、中地江川から水をとったということだった。堂地の特徴としては旱魃になった方が米はとれやすいということである。また、圃場整備前、高い所にあった田は崖が崩れないように、その中腹に水井江といった田をもう一つ作った。また、それによって上の田に水を入れやすいようにした。 5 井樋について 5月初旬から10月10日くらいまで必要とした。1日中ずっと開いたままにしておく。各田ん中には4反以上は2つ、4反以下は1つの水門がある。井樋番は今は機械化されているので1台に一人ということだった。5〜10月の6ヶ月で3万円ほどの手当だったという。 6 不作、田のよしあし 旱魃の方が米がとれやすいということだったが、そんな時は中地江の東と西では取れ具合が全く違うということだった。昔は田に等級をつけていたが、整備前と後ではあまり変わらないということであった。昔、1丁あったらその半分で麦を裏作した。肥料はイワシの干したものや人糞、馬糞だった。 7 出作入作 自分の部落に他の部落の者が田を借りて耕作することを入作といい、その逆を出作といった。また、借り賃を「かかりせん」と言った。 8 農業の展望について 日本の農業はもうだめだといった悲観的な意見が多かった。具体的に悪い点を上げてもらうと、米が消費者に届くのに仲介者が多い、家格据え置きというのは物価上昇の中では値下げといった意見をもらった。 9 しこ名の付き方の傾向について 田ん中や橋などに限らず、全体的に共通していえることは、分かり易いように、〜さんの裏、〜のわき、〜のはしというように有名な地名人名を使うものが多かった。だから語源が何だかさっぱり分からないといったしこ名は少ない。 協力して下さった方 今泉満さん(堂地自治会長) 小柳豊次さん(大正10年生まれ) |