【杵島郡有明町島津、下田野上】 中世の村と人々 現地調査レポート 荒木亨 伊藤圭 調査方法:島津担当の二人と一緒に聞き取りをしました。 話をうかがった人 松尾英史さん(52歳) 前田松実さん(82歳)
○下田野上の範囲 一本松、二本松、三本柳、三本松、三本松の一部、四本松、五本松、六本松
○しこ名について 下田野上の生産組合長、松尾英史さんに聞いたが分からなかった。島津の前田実さんによると、一の画(ママ)、二の画(ママ)のように、何々の画(ママ)という言い方をしていたようである。しかし、一本松等の名称の方がよく使われているようである。詳しいしこ名については分からなかった。
○水路について 梅ノ木谷溜池(梅ノ木溜池?)から水路を引き、ごけんぼい(五賢堀?)と呼ばれている。 去年の水不足では溜池が涸れ、下田野上ではほとんど収穫できなかった。
○水争いについて 部落間だけでなく部落内でもあった。取水時間等で。
○田について 湿田地帯であった。大昔は海であったが、阿蘇の大噴火で灰によって埋め立てられた。そのため地盤は弱い。
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