【杵島郡大町町下潟、港町】 中世の村と人々 現地調査レポート SU-19 1SC94020 斎藤剛 下潟・中島との明確な境はなかった。 ・水は浦田一段、二段、三段溜池から中島を通ってひいてきて、各自でホイ(入力者注:堀)から水車やポンプを使ってくみ上げる。これは下潟、港町あたりが段になっているためである。 ・溜池から水を落とす水当番は毎年交代。 港町・水は宮浦溜池より沖ノ神に沿って引いてきて、各自でホイから水車、ポンプなどでくみ上げた。 ・港町は戦後下潟より独立した地域だが、実際には同じ地域のように扱われた。 ・港町の名前の由来は、近くに炭鉱があって、石炭船が多く来ていたためで、土場の名もこのことに由来している。 ・港町のあたりは全体で一本松と呼ばれていた。この名前は堤防の上に大きな松が一本だけ生えていたことに由来する。地図の黒丸。 ・境川は福母と大町の境界線だったことがその由来である。 |