【杵島郡有明町廻里】

中世の村と人々レポート 現地調査レポート

1EC94040 片山 陽平

大山 丈二

 

調査日:7月11日  

話者:川崎 作次さん  (昭和13年生れ)

 

*しこ名について

 特別なしこ名は使ってない。「学校の前」とか「…さん地の前」とか「神社の右、左」など公共の施設や人の家を利用して、たんぼへ水を入れたりする。ただ、一本松や五本松などはそのまま呼ぶところが多い。昔は、…松、…谷などが付くところは、…杉、が付くところと比べて“げってん”と呼ばれ、土壌が悪く一種の差別を受けていたそうだ。その風習が今も残っているようだ。

 

*水について

 今も昔もほとんど「うめのきダム」から水を水路に流している。地下水(井戸)も利用している。

 昔は時間排水により、他の村々と分け合っていた。排水した水が水路に溜まって、摂取してよい時間が来たら鐘を鳴らしていたことから“カンカン水”と呼ばれていた。当時はやはり水による争いは絶えなかったそうだ。上流の村人たちが、水を盗まないよう交代で、見張りを立てたりしていた。今は圃場整備のお陰で地下に道管を通し、そこからポンプにより水田に水を入れるようになったので、水ドロボウはいなくなった(できなくなった?)。ポンプ所は村ごとに管理して、2年交代で2ずつ当番にあたっている。水を入れるときは前に述べたような呼び方や、しるしの旗を立てておくそうだ。廻里は農家数85戸ほどで8号ポンプまである。地下水は汲み上げると地盤沈下が起きるため、(現に上流では目に見えるほど起きているらしい)極力使用しないようにしている。また白石町などでは、特に地盤沈下がひどいときは飲料水だけで農業用には一切使用しない、ということも取り決めている。有明の干拓などでは水が不足しているため地下水を使用せざるを得なくて、それが原因で上流の被害も大きくなっているそうだ。このためいざこざは絶えないそうだ。

 

*去年の渇水について

 はっきり言えばどうしようもなかったらしい。村単位で一か所に集中して水を入れ、他は諦めようという意見も出たが、やはり自分のたんぼは可愛いらしくうまくいかなかったそうだ。そのためほぼ個人単位で対策がなされた。普段の水田の/〜1/6ぐらいにしぼって水を入れてみたが、水の取り入れ口付近以外は、ほとんど商品にならなかったそうだ。(ちなみに、ここでは“ひのひかり”や“れんほう”を作っているそうだ。)また、春風によってビール麦も散々な出来でビール工場には売れず、単位あたり1000円ぐらい下げて政府になんとか引き取ってもらったそうだ。

 

*村の耕地について

 先にも述べたが、…松や、…谷(一部)は、湿田が多かったせいで“げってん”と呼ばれ、収穫は悪く裏作もまったくできなかった。しかし、圃場整備の一環でコルゲート(排水口)を水田の下に通すことで改良され、今ではたんぼの土壌の差はほとんどなく、どこでも裏作できるそうだ。裏作では、玉葱、麦などがあるが、一番いいのはイチゴだそうだ。去年は福富町だけで2000万円以上(1000坪くらいの大規模で)の売り上げがあったらしい。なかには土地を借り、裏作だけを行っている人達もいるそうだ。

 

*圃場整備について

 良かったと思っているそうだ。有明町は一応3年前に終わったそうだ。有明町では4つの区間に分け、徐々に整備していった。個人25%、県・国75%の負担で、有明町は25000円くらい(1反=10Rにつき)だそうだ。下流をある程度整備してから上流を整備するという方針であったため、初期に手を加え始めた有明町と、それより上流の山の麗付近では10年くらいのひらきがあり、そのため技術的にも後のほうが優れていて、また県・国からの金額の方も待たせた分上流のほうが多い。有明町でも新たな整備計画が提案されているが、金額面でうまくいってないそうだ。

 

*その他

 農業委員会を通して土地の貸し借りを行っている。有明町はだいたい10Rあたり37000円(小作料)を支払っている。10Rあたりの米の収穫は平均で60kg(8俵〜10俵)ぐらい。政府米は今16600円ぐらいで買取り。専業は少なく有明町で4〜5戸ぐらいで、ほとんどが兼業農家である(役所勤めなど)。40才以下は2人しかいない。

 新食糧管理法が不安。より一層の減反をさせられることにつながりそうだから。現在では村ぐるみで転作をやっている。(部分部分ではやりにくいから。)主に大豆を作っている。捕助金は出るが、「農家は米を作ってなんぼ」だそうだ。自由化などでいずれは政府米も13000円ぐらいまで下がりそうだ、と考えていらっしゃるそうだ。自主流通米も大規模なところが有利だそうだ。また、米の銘柄の知名度でも、東北などと比べて圧倒的に劣っているため、将来の不安はいくらでもあるそうだ。



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