【三養基郡北茂安町白石、皿山地区】 歴史と異文化理解Aレポート 1AG95229■ 牧瀬大三郎 1AG95227■ 前原 一宇 <白石> 白石地区は手紙を出した本村吉記さんは手紙を読んだらしかったが、その手紙のことは忘れてしまっていて、詳しい人を紹介してもらった。田んぼのしこ名は「道上の田んぼ」1,2,3、「道下の田んぼ」1,2、昔その村の公民館があった隣の田んぼの「公民館」「裏道下」「大セ町」「カケヒ台」「石丸角」「石丸角下」「土持田」など。正確な場所は地図に記入しておく。(地図省略:入力者) それらの田んぼは「カケヒ台」という溜池から引いているそうだ。昨年の水不足の時、皿山地下やその他の地区の人々と相談して近くのお茶屋の池(お茶屋の堤と呼んでいた。)から引かせてもらったそうだ。 裏作はしてもあまり効果がないため、今はほとんどやっていないそうだ。 なお、圃場整備は行われなかった。 時間がないらしく、昼食どきだったので詳しくは聞けなかった。もう一人紹介してもらったが、その人は留守だった。 お話を伺った人……鶴さん(年齢などは聞けませんでした。) <皿山> 「皿山」は「お茶屋の池」から水を引いているが、「お茶屋の池」の水利権は、「白壁」にあり、池から田へ引く水路の水利権は「東尾」にある。 「お茶屋の池」では魚が養殖されており、「東尾」と「白壁」の水路の水の分け前(水量が1:3であれば)の逆の割合(3:1)で池の利益が分割される約束になっている。 圃場整備以前は「皿山」「白壁」「東尾」で堤の高さに関して水争いがよくあったらしいが、「東尾」に筑後川の水が引かれるようになり、それ以来、水争いはなくなった。去年の渇水による農業への影響はなかったけれど、「お茶屋の池」の水位がかなり下がった。 「皿山」には兼業農家が多く、裏作は可能であるが五割程度しか行われていない(麦、ソラマメ、花)。 「皿山」は圃場整備があまり行われていない。なぜなら深田が多いこと、傾斜が激しく田を広くできないことなど、機械を用いる近代農業に適していないため。 「皿山」のしこ名は田の広さや田の所在位置、近くにあるものに関係して付けられている。因みに焼き物を作っていたので「皿山」と呼ばれた。 お話しして下さった方 松本さん一家 地図の説明 黒線……現在の田んぼの形 ○……圃場整備が行われた ×……圃場整備が行われなかった。 個人……個人で整備した 田に書かれているのはしこ名 |