三養基郡北茂安町瀬戸地区】

レポート

S1-28 1AG95098  熊谷信介

1AG95138  杉本昌也

 

訪問先氏名 松尾勉辰さん他2名。名前を忘れた。

 

 瀬戸という村は江口から分離してできたらしい。そして瀬戸は平野部であり、海抜0mかそれより少し低い所に存在する。だから田に使用する水はまず筑後川から干拓川に流し、そこから水を引くらしい。因みに瀬戸はクリークを使用しているらしい。そして干拓川の水の引く量は特に決まっていないが、順番があるらしい。(後述)

 だからよほど渇水にならない限り(去年くらいならまだ余裕がある)水に苦労することはないそうだ。事実、去年は豊作で水不足を歓迎していた。

 瀬戸の水の取り入れ時期は610日から1010日頃までで時間の長さは決まっておらず、好きなとき(必要なとき)に水を取り入れる。

 堀やゴミの所有権は話し合いで決まるみたいだ。

 また、干拓川の水は単独で使用するので特に問題はないみたいだ。

 村の共有の山林などはないが、かなり昔、共有の田んぼがあったらしいが、今はいろいろ問題があってなくなったらしい。(ちょっといやな顔をされたので質問を控えた。)

  村の田はほとんどが乾田で裏作が可能。作物は麦、スイバク(?)を作るらしい。

 戦前の良い田では18俵、悪い田では2,3俵ぐらいと言われた。その時の肥料はシメカス、鰯の腐ったものを用いた。(今の肥料はいろいろ混ぜ合わせて作るらしい。)

 また月2回ある大潮で水を取り入れクリークに貯水する。

 もし30年前に去年みたいな渇水になってもクリークの前に使用していたという?灌水機で真水を汲み上げることができた(今と同じ方法で)のでそんなに大きな問題はなかった。

 干拓川からのポンプアップの順番は生産組合で決め、15回だそうだ。そして3人の訪問先の一人(その村の長老?) に今後の日本農業について聞けたのでそのまま記述する。

  自分が小さい頃は牛で田を耕し、クリークから水車で水を汲み上げていた。それが今はトラクター、ポンプアップと機械でやるようになり、こんなに変化して楽になるとは思わなかった。自分の時代が農業史の中で一番変化した時代なので、そこに生まれた自分はよかったなあ。まあ日本の農業について言ってももう自分は老いたし、息子は農業の仕事でそれなりに食べているから自分たちが食べられるだけの米、野菜があればそれでいいと思っている。後は息子たちに任せたいと思っている。

とのことであった。

 



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