【三養基郡北茂安西寄地区】 歴史と異文化理解Aレポート S1-28 1AG95096■ 木村晃司 1AG95137■ 杉光 都 1 しこ名 水田、堀、橋のしこ名は地図に記す。(地図は佐賀県立図書館所蔵) しこ名の由来など ・裏(ウラ) お話しして下った人の家の裏にあるため。 ・北脇(きたわき) 大屋敷(おおやしき、うーやしき)の北側にあるため。 地図上に北脇が二つあるのは別々の人が示したため。 ・大屋敷 豪族の屋敷のあったところ。 ・野狐穴(やこあな) 近くの堤防に狐がいたため。 ・魚取田(うおとりだ) 周りより低くなっていて、水路から魚や亀が入ってきたため。 ・もぐり橋 橋が低く、水位が上がるとすぐに水に浸かってしまうため。 ・集落の中で家に東・西・南・北・隠居という呼び名のついている所があった。 しこ名の漢字は村の人たちが教えて下さった。 2 村の水利について 西寄の地域は昔は寒水川の水を使用していたが、圃場整備後は循環水を使用し、川の水は使用していない。 昨年の干ばつの際は井戸水を使用したため、水争いや水不足による被害は特になかった。 地図の紫色の地域の水田は、高低差や水流の関係により水に浸かりやすい。最も、8月末の稲が花をつける時期以外であれば被害はあまりない。それに対し、西寄地区は堤防が切れない限り水害はなく、水に関する問題はほとんどない。 3 村の範囲 地図上の赤色で示す。(地図は佐賀県立図書館所蔵) 4 村の耕地 ・水田の2割程度が減反の対象となり、私たちが訪ねたお宅ではそこで大豆を作られるとのことだった。しかし、ほとんどの農家では作物を作らないで、裏作のためにしろかきだけを行う。 裏作は小麦、ビール麦が主。 ・圃場整備は昭和50年代後半から平成5年(約10年間)の間になされた。整備後の水田は農家の持っていた広さに応じて1枚30a〜1haに分けられた。 ・西寄ではどの水田からも平均的な収穫が得られる。例年7〜8俵/ha。93年 5〜6俵/ha 94年 10俵/ha) 5 今後の日本農業について 「自分たちの代まではよくても後継者、輸入作物、円高等のさまざまな問題のため、日本の農業が今よりよくなることはないだろう。政治家にはもっと“先を見る目”をもってほしい。」 6 西寄地区を調査して 西寄地区についてまずに生産組合長さんの宮原信義さんのお宅を訪ねたが留守で、その近所の宮原猛さん(50〜60才代)にお話を伺った。 当日はちょうど地域の交流会があっていて、その打ち上げての会場に案内して頂き、村の人たちが集まっていらっしゃるところで、しこ名を尋ねることずできた。村の人同士話し合いながら、多くのしこ名を思い出してもらえた。しこ名はそれほどご年配の方でない方でもたくさんご存じだった。また、西寄地区は2軒の農家を除いて全部が宮原という姓だったのには驚いた。村の人たちのご協力で多くのしこ名を調査できてよかった。 |