三養基郡北茂安町西大島地区】

歴史と異文化理解Aレポート

西大島担当

杉浦裕義

篠原史訓

村の水利のあり方

 水田にかかる水は主に山水(山から流れてくる水)を使っていて、水は中野、東大島と共有している。

 水路の水がなくなったとき、筑後川の豆津灌水機を使って水を取り入れる。

 過去、昭和時代以降は水争いはなかったが、明治時代に江口と西大島で水争いがあったという言い伝えがある。

 井樋番は昔、西大島の区長が管理していて、井樋番の手当は区長報酬に入っている。

 非灌漑時期のゴミ取りはクリークに面した田んぼをもつ地主たちが掃除をする。

 1994(平成6)の未曾有の旱魃の時、水路の水、筑後川の豆津灌水機から取り入れた水でも足りなくなったので、江口の方に区長と生産組合長が話し合いに行って820日〜910日の期間、西大島せいすい門(原文ママ)を開けて2回〜3回流れてくるだけ淡水を取り入れ水を間に合わせた。このため犠牲田もなく豊作だった。

 この大干魃がもし30年前であったならば、昔、西大島の下の方に池うちと呼ばれる池があったので間に合っていただろうとのこと。

 また井樋は西大島に現在4箇所ある。

 

村の耕地について

 西大島は圃場整備以前はほとんど乾田で裏作ができていた。門前、島森、水所というしこ名の場所は毎年水害が23



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