【三養基郡中原町西寒水、東寒水。北茂安町板部地区】 レポート 行動 西寒水から東寒水へと歩き、区長さんを訪れると区長さんは何も分かっておられなかった。それで親和不動産は執行さんを紹介してもらい訪れた。そこでしこ名を聞くと、「圃場整備があってもうそんなもの使いよらんけん、ようわからんもんね」。しかし、一生懸命思い出して下さいました。 「家の裏の田ん中の写真のあったろうけん、それを持ってきてやろう」と写真を見せて頂きました。すると自分たちの受け取った地図にものっていないような田畑がいくつかあり、とても細々しているといった印象でした。 やろくさん田とは、そこの土地をもっていたのが「やろくさん」という人だったらしく、先祖代々そう呼んでいるそうです。 その後城野さんと牛島さんを紹介してもらいお二人を訪ねました。ここでも第一声は「もうわからんもんね」でした。牛の下(大石の下)なのですが、その田の近くに大きな石があり、「大石の下」となり、それが発音の関係で「うしのした」と呼んでいるという説と、その他の近くの大きな石が牛の寝そべった形をしていることから「牛の下」と書き、「うしのした」と呼ぶ説とを教えて頂きました。 地区の範囲 北……国道34号線 西……西寒水川の集落 東……寒水川 南……北茂安町との境界 三養基郡北茂安町板部 しこ名一覧 西ばさこ かんばさこ さだつね どうかしき おきだ にしだ いびぐち 田中義男さん 明治30年 三養基郡中原町西寒水 しこ名一覧 ひのくち 中ぞり かしらまち わきだの口 のぼり口 つくいみち もとぎのした もとぎの野 坂の口 みなみざき 石橋の野 やこてん まつぼりの下 まつりのほり 下へご 上へご いで一覧 観音寺いで 船石のういで 畑田いで いで→井せき ういで→大いで→大きな井せき 古老の名前 (元区長)平野清次郎さん 大正元年生まれ (区長)平野正法さん 昭和9年生まれ 行動 私たちは共に部活動の試合があり両方共が選手であったということあって、この調査の事前のアポをとらずに直接訪れました。酒屋で区長宅を訪ね、区長さんを訪問しました。そこでしこ名のことを聞いたのですが、第一声は「何のことかようわからんが……」と言われました。現地の人はしこ名と聞いてピンとこないようです。それで説明をすると「自分の家の田ん中のことしかわからんが……」と少し教えてもらい、古老を二人教えてもらい、訪れました。 しかし、平野貞男さんという方は、そのあたりの土地の利用区分、それが誰のものか、などについては詳しいのですが、貞男さん曰く「百姓じゃなかったけん、そがんことはしらんもんね」と言われ、平野清次郎さんを訪れました。 平野さんからはしこ名はもちろんいろいろ教えて頂きました。「わきだの口」「のぼりの口」「坂の口」とは、「部落から田ん中に行くには、道が三本あるっさ。そいで部落から田ん中までは坂になっとうもんね。そいで、このへんば、こげん(わきだの口、のぼりの口坂の口)呼ぶっちゃんね。」そして清次郎さんは「ここに3つ観音寺いで、舟石ういで、畑田いでっていぜきがあるもん。今は生産組委員がおろうが。あの人たちがしよっなさっけん区長はせんでよかもん。でもわいのころは、水を引いたり止めたり区長が全部一人でしよったもんね。」とのことでした。 地区の範囲 北……舟石川 西……切通川 東……集落 南……北茂安町との境界 同町東寒水 しこ名一覧 一本はぜ 六兵衛山 地蔵町 ぜんさく田 よせ田 墓の前 やろくさん田 中のはし 南浦 やしきのうち 牛の下(大石の下) 竹の下 こうしん塚 畑田 赤坂 池上 六の坪 八ノ角 河原田 執行悦子さん 牛島さん 城野祐義さん 丸野さん 昭和1桁の方々 行動 東寒水から南へ行き、酒屋さんで情報を入れました。板部は新しく入ってきた人が多く、区長さんもその一人で、自分たちは古老を教えてもらいました。それで田中義男さんを訪れたのですが、話の内容を分かってもらえず1時間半程度話をする中で、やっと本題に入ってしこ名を教えてもらいました。 |