三養基郡北茂安町中津隈西(石橋、舞郷、日焼、西尾)地区】

歩き、み、ふれる歴史学レポート

北茂安町中津隈西(石橋、舞郷、日焼、西尾)再調査

1PS960032■伊勢康永

1PS96012■遠藤宏幸

調査日時:平成8713()

話を伺った方々:

〈石橋〉

・石橋正喜さん――大正13年生まれ

〈舞郷〉

・大田文雄さん――大正15年生まれ

・大田七十二さん

〈中津隈西〉

・福山未時さん――大正4年生まれ

・原繁さん――大正5年生まれ

〈西尾〉

・光岡十四男さん――大正15年生まれ

・寺田兎四郎さん――大正13年生まれ

 

しこ名一覧

(再調査だったので、確認出来たものには、___を引いてあります。

新たに採集できたのは、___なしのものです。後の小文字は読み仮名です。)

<田>

久保田、西脇、みやのまえ、ふかまちみやのうら

うしのかく、石仏島崎川の西、後田うしろだ、堂前どうのまえ

宝満谷ほうまんだに、竃内かまのうち、やーがけ、八の坪五の坪

五反田、六反田、八反田うらまち前田高良田切れ土居

土居端天神角地蔵さん前、彼岸でい、下田飯町八反角

新茶屋、彼岸でい、役場裏、うめのきばえ、西尾境八反角

さべっと、ぶしゃもんてん、うしろばえ、そのまち、十めつぼ、

ごたんだ三反角、彼岸でい、

 

〈畑〉

原西はらにし、原東はらひがし、

ド簗一

 

〈水路〉

久保田溝くぼたみぞ、

〈村の名前〉

べんじゃさん、じょうべっとう、

以上

 

行動:

・バス下車。

・石橋の村に行く。

・農作業のおばさんにだれが適任者か聞く。

→石橋正喜さんを薦められた

・石橋正喜さんを訪ねて、話を聞く。

・舞郷の村に行く。

・一番家が大きそうな大田文雄さん宅に行く。

・弟の大田七十二さんにも話をしてくれた。

・大田文雄さん宅で「北茂安町史話伝説」という本を見せてもらう。

・原幸作さんを紹介してもらう。

・原幸作さん宅に行くが、不在、代わりに、藤光太郎さんを紹介してもらう。

・藤光太郎さん宅に行くが、不在、福山未時さんを紹介される。

・福山未時さん宅に行き、話を聞く。

・原繁さんを紹介される。

・原繁さん宅に行き、話を聞く。

・酉尾の寺田益雄さんを紹介される。

・寺田益雄さん宅に行き、区長の光岡十四男さんを紹介してもらう。

・光岡十四男さん宅に行き、話を聞く。

・寺田広見さん、寺田兎四郎さん、上野義信さん、宮原次昭さん、宮原義人さんを紹介してもらう。

・光岡十四男さん宅に行くが、不在。

・寺田兎四郎さん宅に行き、話を聞く。

・上野義信さん宅に行くが、不在。

・宮原次昭さん宅に行くが、不在。

・宮原義人さん宅に行くが、不在。

     バスに拾われる。

      

水利のこと:

石橋の東ある2つの堤(めおと堤という)からの水が、石橋、日焼、舞郷、あたりで使われる。水の取水方法は、昔は、"井手(いで)"というところで、水をせき止めて、それからくみ上げて使っていた。が、今は、ポンプを導入してそれで、水を送っている。このおかげで、3年前の旱魃は被害が抑えられた。

(写真省略:入力者)

 

1994年の旱魅のこと

圃場整備されていたおかげで、昔に比べて、だいぶましだったが、やはり、水は全然足りなくて、井戸を掘った。井戸の数は村で2050本だった。圃場整備される前には、井戸があったが、圃場整備の時に埋めてしまっていたので、掘り直した。

 

村の耕地:

いもや大豆、麦の水があまりいらないものを作っている。

また、西尾の南の方では、米と麦の二毛作も行っている。

 

村の変化:

圃場整備した後は、機械化のため仕事は楽になったが、収入は減ってしまった。それは、機械のための設備投資が高いのと、うまい米じゃないと、売れなくなってしまったので、肥料などを大量に使う様になったため。一反当たりの利益は、固場整備後は減ってしまっている。

圃場整備によって大きく変わったものとしては、道がある。大昔は、馬道(まみち)と言って、馬1匹が通れるほどの道で、その後、車1台が通れる道となり、圃場整備によって今の様な道となった。

 

村、農業の将来:

「農家はやっていけん」というのが本音です。米だけ作ってももちろんやっていけない。これからも、続けようしたら、イチゴ、トマト、アスパラなどのハウス作物を作らないとだめだ。また、後継者がいないというのも大きな問題です。

 

その他

※中津隈西の原繁さんの話によると、石橋、日焼のしこ名を詳しく知っている人は誰も、もういないとのことです。(最近、亡くなったり、体調があまりにも悪かったりとのことです。)

     大抵の場合、この村では、自分の持っていた田のしこ名は分かるが、他人の田のしこ名は分からないと言われた。小字を用いて、「**さんちの\\(小字)の田んぼ」のように言っていたらしい。また、圃場整備後は小字の後に、番地をつけて呼ぶことが多いらしい。

 

感想:

再調査といえども、地域が広すぎた。最初、思っていたより、かなり調査が難航した。こちらの言っていることが、通じなかったり(特に"しこ名"という言葉が全然分かってもらえなかった)、詳しい人がいなかったり、と困難が多かった。しかし、訪ねたお宅が、お茶やお菓子をだしてくださったところもあり、人の温かみにふれることが出来た。

今回は再調査ということで、広範囲を調べなくてはならなかったので、11つにあまり時間をかけられなかったので、もう少し狭い範囲をもっと深く調べたかった。ともあれ、歴史の一片をかいま見られて非常に楽しい1日だった。

〈終わり〉



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