三養基郡北茂安板部地区】

歴史と異文化理解Aレポート

1AG95103 河野美咲

1AG95095 木原桃子

 

調査日 95712

板部地区についてお話をして下さった方

 田中保雄さん 大正15年生まれ

 この方の家では地元で約166年間農業をされているそうである。

 

1 しこ名について

我々の調査で次のような田んぼのしこ名が収集できた。

ぐうで

はこだ

ふるんぞ

くろうち

ごんまんで 五番目の井手が訛った言葉だそうである。

うらだ

油手

けんどのうえ 県道の上の方の田んぼのこと

けんどのした 県道の下の方の田んぼのこと

かわばた

さだつね

どうで

 十番目の井手が訛った言葉だそうである。

たておさ

ほつしい

のさき

ふかだ

  ひどい湿地で足を入れるとヒザのあたりまで足が沈むので地元の人にそう呼ばれているらしい。今なお機械を田んぼに入れることは不可能なので、手で田植えをしている。

 きんど

  現在住宅地となっているので、この田んぼは存在しない。

 ごせだ

  田んぼの面積がそのまま呼び名となった一例である。外にも「にせだ」「さんせだ」というものがある。

 ほうまんだ

また、はこだかみ、はこだなか、はこだしものように、田んぼをしこ名の範囲で、上中下に分けて呼んでいることが分かった。

 

次に井手のしこ名を挙げる。

しよういで

いび

いちのいかい……一番目の井手を意味する。

ごんまんで……二番目の井手を意味する。

やつで……八番目の井手を意味する。

次に水路のしこ名を挙げる。

 かわいれば

 ここでは昔、耕作用の馬を暑いとき水の中に入れて洗っていた。また、人も泳いでいた。

他の水路については名前が付いていないそうである。

次に堀のしこ名を挙げる。

 まついぼい

  現在防火用水となっている。物部神社に近いからまつりぼりと言われているらしい。

 

A 水利慣行について

 水田に関わる水は寒水川から引かれている。(地図は佐賀県立図書館所蔵)より情報にごんのいでというものがあり、板部北部の水田を潤している。水はそこからも引かれているが、我々の調査した板部地区は主にしょういでから取水している。また、取りすぎた水は井樋から寒水川へと戻される。

 

・寒水川について

 川の水量は背振山の梅雨時期における降雨量はもちろんのこと、冬場の降雪量、積雪量にも左右される。

 

・板部では西尾地区と用水を共有している。昔から水争いは絶えなかった。今でも毎年くじを引いて水を引ける本数と、日数、時間を決めている。しょういでから取水を行う際は、二人ずつ番をあてたそうである。番人になる人は耕作田の多い人であった。それは田が多い分、多量の水が必要だからである。手当はなかったそうである。

今年は大字中津隈に11本の水路が割り当てられた。その中で板部と中津隈東に7本が割り当てられた。

井手から取水する順番としては寒水川の上流より

中津隈→西尾→中津隈→西尾→西尾→中津隈と決まっている。

 板部地区と西尾地区には水利に関するしきたりが今なお存在している。例えば堤防の治水工事をする際には、流域に住む人々全ての承諾を得なければならない。しかし、板部地区だけで全ての承諾が得られても、西尾地区の承諾が得られない場合もあり、なかなかうまくいかない。それでも両者が必要だと思い始めると治水工事はうまくいく。最近このしきたりが破れようとしている。板部地区に新しく住宅を建てた人たちはしきたりなど関係ないという調子で文句ばかり言うそうである。しきたりはしきたりなのだからと生産組合長さんはおっしゃっていた。

 

B 大干魃について

 昨年の大干魃では川を機械で掘ってポンプで水を汲み上げた。また、荒巻に井戸を2本、井樋の近くに井戸を2本掘った。30年前であれば村の人総出で川さらいをしたそうである。県道の上の西尾橋の近くに井戸を掘ったらしいが、現在は埋められている。

 

C 水事情について

 大電佐賀工場のあたりは、山から「やまんでしる」、つまりわき水が流れ出していた。そのために、たとえ雨が少なくてもなんとか耕作ができていた。しかし、大電佐賀工場が建って地面をコンクリートで固めてしまったので、雨が降っても雨水が地面に浸透せず、鉄砲水のように流れ出し、水が使い物にならなくなってしまった。

 また昨年の大干魃で工場用水が足りなくなり、井戸をどんどん掘ったために、昔からあった地下水は涸れてしまった。さらに不幸なことに最近田んぼの中に家が建てられ出した。昔は水路の水はどこでもきれいであったが、住宅からの生活排水で汚染され、素足で入ることはできなくなってしまった。生産組合長さんはこれからの希望として、「これ以上田ん中を住宅に変えたくない。」とおっしゃっていた。しかし、県道沿いの田ん中はもうそろそろ住宅に変わるだろうとおっしゃっていた。

 板部地区は全国でも珍しく10軒のうち3軒は専業農家である。ところが耕作面積が少ない人から順に田ん中を売り渡しているので、次第に田ん中が減ってきた。我々が調べたしこ名の一つの「きんど」も今は住宅地である。我々としてもこれ以上田ん中は減って欲しくない。

 ところで、今年の米の出来具合はどうですかと尋ねたところ、川の水が先の大雨にもかかわらず少なかったのでよく分からないとおっしゃっていた。

 

D まとめ

 一見したところ、何の変哲もない水田地帯と思われる板部地区は、今なお古い伝統が息吹いていた。この伝統が絶えないように、これから農学を志す我々としては何とかして手助けをしたいと思った。将来のために大変貴重な経験となった。また、物部神社といった古代史にまつわる遺跡があるので、大変興味深いところである。もう一度訪れたい。



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