【三養基郡北茂安町深町付近地区】 歴史と異文化理解Aレポート s1-28 小林弘司 坂井隆敏
今回お話をして下さった方々。 中尾富士男さん (生産組合長) 原 幸作さん (大正5年生まれ 78才) 藤光典男さん (昭和3年生まれ 66才) 原さんの話では実際には他にもたくさんのしこ名があったそうだが、忘れてしまって思い出せないそうだ。やはり覚えていたり、思い出すことが出来たりしたしこ名はよく使っていたしこ名だそうだ。 どのようにしてしこ名を付けられたかを尋ねると、そのほとんどが勝手に付けたということだった。例えば山南というしこ名は、昔はそのあたりの北方に山があり、ただ単にしこ名がその山の南に位置していたから山南と付けたそうだ。 また、橋について尋ねてみると夫婦橋や一本橋という橋があったそうだ。夫婦橋は、昔は川が二つあって、橋も二つあったことからその名が付いたことからその名が付いたそうだ。また一本橋はくぐり橋だったので、大水のときは渡ることが出来ず、わざわざ夫婦橋まで行かなければならなかったそうだ。 この村ではすべて赤川という川から引いているそうです。この辺りにはクリークがないので、水が少ないときには、赤川上流のため池から水はまかなっている。堰の開閉などは村の農民たちが交替でやっているそうだ。 また昭和571年7月の干ばつのときには18ヶ所位の井戸を掘り、その地下水で水をまかなったので、他の村よりも水による被害はかなり少なかったらしい。去年の干ばつのときは、昭和57年の干ばつのときに掘った井戸を使うと共に、新たに約4ヶ所の井戸を掘ったそうだ。このときも他の村よりも被害は少なかっただろうとおっしゃった。 犠牲田などはなく、かえって収穫量が増え大豊作だったらしい。 僕たちはこのとき初めて干ばつのときの方がよく日が照るのでかえって米がよく実るということを知りました。また昭和57年と去年の干ばつではどちらがひどかったかをうかがってみたところ、去年の方がひどかったかもしれないとのことだった。一昨年は冷害のために不作だったという。 今年の米はどうなるか予想をうかがってみると、今年は冷夏になると予想されているので、余りよくないだろうと藤光さんがおっしゃったが、原さんは昔から「土用の前に3日照れば米は取れる」と言われているので、まだ分からないとおっしゃった。 場所によって米のとれる量が変わるかについては、ほとんど差はないそうだ。どちらかというと、まいご、深町など南の方が少し多くとれるそうだ。 この辺りでも減反が行われていて、今年は2.75%ほどの減反だそうだ。 この他にも授業には直接関係はないが、ためになることといえば、西暦でなく日本が始まってからの年である紀元(今は紀元2555年、つまり西暦+560年)を使っていることなどを教えてもらい、いろいろな雑談、昔山に天狗がいて悪さをしていたことなどを聞かせてもらい、とても楽しくまた本当によい勉強になりました。 |