【三養基郡北茂安町東尾地区】 歴史と異文化理解Aレポート 1AG95144 高田裕洋 1AG95170 戸渡圭祐 しこ名 いっけんや(一軒家)……この辺りに家が一軒あった。 まるぼい(丸堀)……堀がたくさんあった。 きただ(北田) さんしょ いんきょだ(隠居田)……隠居した者が耕しており、最良の田。裏作可能。「かちきだ」(ここだけ作れば一年間家族が食べるには困らない。 なかぜまち(中瀬町) なかかく(中角) にしおざかい(西尾堺)……西尾と東尾の堺だった。 ひもだ…・ヒモのように下に垂れ下がっている。 いっちょうかく ふたまた(二又)……水路が二又に分かれていた。 おおやぶ うらだ(裏田)……集落の裏(北の方)にあった。 ろくたんがく(六反角) べんざし でーべた(土井べた)……土井に沿ってあった。 きたんかた(北方)……集落の中の北の方。 みなみかた(南方) ……集落の中の南の方。 渇水時の対策 ・ 去年の大渇水では農作物の水不足が心配されたが、東尾では水の心配は全くなかったらしい。さすがに小さな水路や溝の水は涸れてしまったそうだが、筑後川の水は涸れることなく、ここから水を引いた。 ・ 昔は灌漑設備が整っていなかったらしく、渇水時にはいつも上流にある西尾が、水の利用に有利であったため、西尾と東尾の激しい対立があったらしい。 編集後記 我々は10時30分に東尾に到着しバスをおりた。まず町役場に行き大塚久雄さん宅の場所を調べることにしたが、これに25分を費やされ約束の時間までにあと5分しかない。我々は5分で大塚さん宅まで走ることにしたが、これがまた非常にきつい。坂道であるし少なく見ても1.5kmはあったと思う。そしてついに大塚さんと会うことができた。しかし、彼はしこ名については全く知らないという。この土地に落ち着いて5年ほどしかたったおらず、古老の家すら分からないとのことだった。 我々は道ゆく人々や畑仕事をしている人々手当たり次第に聞いて回ったが情報はほとんど得られなかった。そこで我々は作戦を変えた。南へ下りいかにもしこ名を知っている人がいそうな人家を訪ね、最初に得たしこ名が「いっけんや」である。これを聞いたときはさすがに嬉しかったのだ。この後は順暢だった。特に印象に残ったのは宮原さんのお話である。彼女の弟の戦死についての話であった。我々は深い感銘を受け、お仏壇を拝ませてもらった。彼女は8月13日夜9時からNHKの「20生喜の遺書」という番組へ出演する予定である。我々は必ず見ようと思う。先生も是非! 教師というのは教壇の上だけにいるのではないと切実に思った。 |