三養基郡北茂安町東尾地区】

レポート

S1-29 内田 剛

竹下伸一

 

今回の調査は手紙を出した寺田求さんがいらっしゃらなかったので、寺田さんが紹介して下さった宮原次人さん(75才、大正8年生まれ)の聞き取りから始まった。

この方のご家庭が非常に親切でかなりの量のしこ名を教えて下さり、幸先のよい調査のスタートをきることができた。この方の息子さんの次昭さん(47)が車でしこ名に詳しそうな方を4人ほど案内して下さり、そのうちの二人の聞き取りに成功した。以下にその方々のお名前を掲げる。

 宮原利男さん(82才、大正1年生まれ)

  寺田谷幸さん(77才、大正7年生まれ)

調査の内容としては田ん中、堀、道路等のしこ名を教えて頂き、その中で由来の分かっているもののしこ名と由来等を挙げる。

猪山……かつて猪が生息していたことによる。

しょうけ田……水が乾きやすい土地柄による。「しょうけ」は網目状の農機具。何度掬ってもこぼれるからこの名が使われた。

井樋尻(イビジリ)……川にある、田の水調節をする「井樋」の近くにあったことによる。

運動場……馬を放牧させて運動させていたことによる。

(たて)……以前城があったことによる。

浦町……この地区一帯が昔海であったことを示す。貝殻がここのボウリング工事で見つかったことによる。

切れ土居……ここの近くの堤防が昔、切れたことによる。

久留米路・いわん小路……由来ではないが、戦時中、軍用道路として使われていた。

その他、「観音さん堀」「地蔵さんの前」などがあるが、その名の通りなので説明を省く。

 

 最後に、このような調査は今回が初めてであったが、当初の予想よりかなり面白かった。由来の単純なところに地元の方々の素朴さや、そのしこ名に対する愛着心が感じられた。

 今回の調査でしこ名を教えていただいた宮原常人さん、宮原利男さん、寺田谷幸さんには非常に感謝している。また、調査過程の最後の最後まで面倒をみて下さった宮原次昭さんには感謝しても足りないぐらい感謝している。本当にありがとうございました。

 そして、この成果が服部先生のご研究に微力ながらもお役にたてば幸いである。



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