【三養基郡北茂安町江口西地区】 歴史と異文化理解Aレポート S1-28 1AG95112 齋木 朗 1AG95124 柴田健輔 訪問先氏名 田中久人様 大正9年生まれ。 村の水利のあり方 ・ 水田にかかる水は寒水川から引水され、おにつか井樋から取り入れられる。また、干ばつの時は筑後川からポンプを使い、土井の井樋を使い、上の地域へ水を送る。 ・ 用水は単独の水利で他村との共有はない。 ・ 水争いはないが、干ばつになると水といと言って川上の地域の人が水をせき止めるために、川下の地域の人が自分の田に水を引くためにくじ引きなどをして、優先的に水を送ってもらっていた。 ・ 昔は筑後川からポンプで水を引いていたが、現在は海の干満を利用するアオという水の引き方が一般的である。 現在の淡水の方法 ・ 満潮の日の前後4〜5日に水が逆流することを利用して、筑後川から1日に2回(昼と晩)水を引く。 ・ 井樋番は当番制で一年交替で、建設省の管轄下にあるためにそこから手当をもらっているそうだ。 ・ 日灌漑時期のゴミとりについては村の人共同でゴミをとり肥料にしていた。 ・ 去年(1994年)の干ばつ対策 現在はアオを入れるが、干ばつの時はポンプで水を汲み上げて水を入れていた。30年前に去年のような干ばつがあったとしても、前に述べたように筑後川から水を汲み上げて対処するか、そのうち雨が降ったりしてそんなに被害はなかった。 村の範囲 ・江口西、江口東、瀬戸、西寄の4地域に分かれている。 江口西の範囲は地図参照。(地図省略:入力者) ・村の共有の山林はなし。 村の耕地 ・江口西は全般的によく米の地域(ママ)であり、特に上田(かいだ)辺りは質、量共に良い。 ・戦前の良い田では少ない時で1反辺り4俵、普通のときは6〜7俵穫れたそうだ。 ・戦前は窒素、リン酸、カリをそれぞれ買ってきて、それを土に混ぜ合わせた「たんぴ」というものを使っていた。 ・裏作は昔から麦(裸麦)、菜種を盛んに作っていた。現在はビール麦、小麦を作っている。 ・湿田はない。 現在の農業について 現在は殆どが兼業農家であり専業農家は退職した年輩の方々とあと僅かの人に限られる。 地図の訂正 一部通瀬川が現在はなくなっていると言われました。下田(しもだ)とふろやしきの間にもう一つ川がある。 |