【三養基郡北茂安町荒巻、英雄塚地区】 歴史と異文化理解Aレポート 1AG95097■ 草野大輔 1AG95110■ 近藤将人 荒巻の水源はそばを流れる寒水川(しょうずがわ)で、その水量の豊かさから西尾上地(あげち)など他の村々と共同で利用していた。昔は水が欲しい者が欲しい時に勝手に引くというように無秩序な状態で、干ばつが起きるとよく水争いが起こったらしい。 現在は当番制で管理し、井戸や貯水池もつくってあるので水争いはなくなった。 去年の水不足の際は井戸を深く掘る、夜中堀を堰き止めたてて溜めた水を昼間流すなどの工夫で乗り切ったが、これがもし30年前であれば、なす術がなかったのは勿論のこと、水争いが大規模な抗争に発展した可能性は大きい。 英雄塚の場合、その水源は中川という寒水川より少し小さめの川と、いくつかの堀である。中川は英雄塚単独の水源で、そのため、他村との水争いは特になかったらしい。地元の住民にも過去に水争いがあったという記憶は特にないとのことである。 英雄塚も去年の水不足は井戸を深く掘るなどして乗り切った。ただ、荒巻、英雄塚ともに水が出た井戸のポンプに大勢の人が群がり、大変な騒ぎではあった。また、雨が少ない方が害虫は少ないらしい。 荒巻の土地は粘土質で、肥料は馬糞と麦を混ぜたものを使用していた。戦後、金肥(きんぴ)と呼ばれる化学肥料(お金を払って手に入れたことに由来する)が使われ始め、現在は肥料のすべてを金肥でまかなうようになった。 収穫量は荒巻が7〜8俵だったのに対し、英雄塚では8〜9俵、多いときには10俵とれたこともあった。そのため、英雄塚の人たちは役人に1俵少なく報告し、その1俵を皆で分け合うこともあったらしい。 水田にかかる水はどこから引水されているのか。 荒巻 寒水川 英雄塚 中川 その用水は単独の水利なのか。 荒巻 共同 英雄塚 単独 共有の場合、その受益村は 荒巻 西尾、その他。 英雄塚 (単独) 過去の水争いはあったのか。 荒巻 あった。 英雄塚 なかった。 過去の干ばつの対策は。 荒巻 井戸を深く掘る。夜堀を堰き止めて水を溜める。 英雄塚 井戸を深く掘る。 裏作はできていたか(どのくらい)。 荒巻 できた 英雄塚 すべての水田でできた。 戦前、何俵とれといたか。 荒巻 7〜8俵。 英雄塚 8〜9俵。 戦前の肥料はどんなものを使っていたか。 荒巻 糞尿 英雄塚 糞尿 その他 英雄塚祭 12月第2日曜。 荒巻祭 12月第3日曜。 昔は川の流れが全然違う。 |