【小城郡三日月町長神田、佐織】 現地調査レポート
29班:中村美絵 津和崎智子 田中聖子 永江美帆子
お話しを伺った方 @永松嵯恵子さん(55歳) 1. 田ん中のしこ名:地図参照
2. 橋のしこ名(場所はよくわからないが) いっしゃん橋:昔、よくキツネに化かされると、この地域で評判だった。
3. 圃場整備以前はどこから水をひいていたか 天山山脈のふもとから水をひいていた。(佐賀平野は北山山脈からひいていたらしい)
4. 水争いはあったか 昔は、佐織、長神田、高田の間で水争いがあった。しかし、大正元年頃に地下水をひくことになり、表立った水争いはなくなったが、水不足になると、今でも多少水争いはある。 また、芦刈水道については、昔、佐賀県東部の石いびという所に“なりどみひょうご”という人が用水をひいたおかげで、芦刈水道ができたそうだ。“なりどみひょうご”という人は、水の神様として、今も石いびに祭られているそうだ。
5. 田んぼで良く米がとれる所とそうでない所があったか 地図@の青い線を引いた所で分けられる。その2つの地域の格差は1反で1俵差ぐらいで、化学肥料を使うようになってから格差はなくなった。
6. 裏作について 裏作はすべての田で可能で、米と麦が主。
永松さんのお宅は、佐織の区長さんですが、ご主人は水不足の対策の話し合いのため、いらっしゃらなかったです。しかし、奥さんの嵯恵子さんは55年間ずっと佐織で暮らしており、先祖代々佐織で暮らしておられたので、昔の様子もおじいさんやお父さんによく聞いていたそうです。嵯恵子さんのご実家は由緒ある家柄だそうで、約300年前から伝わる刀や和同開珎も保存されていると聞いてびっくりしました。とてもいい方で、私達を家に招き入れてくれ、冷たい物まで出していただきました。
A陣内正雄さん(71歳) 1. 田のしこ名:地図参照(地図は佐賀県立図書館所蔵) しこ名の由来について 一ノ坪〜九ノ坪:大化の改新の条里制度によって名づけられたと考えられる。 さやんかい:さやのかみ(神)がなまったもので、さやの神とは道祖神である。 しょうで:正確にはわからないが、おそらく、寺の領地であったことから由来すると考えられる。 がらっぽ:がらんどう(伽藍堂)のなまったもので、昔、そこに伽藍堂があった。 貝塚:ここに実際に貝塚があった。 みやうら:文字通り、宮の裏という意味。 たっちゅうさん(塔頭さん):田ん中のしこ名ではないかもしれない。ここには昔からお寺のお上人さん達を祭ってある墓があるそうです。
その他はよくわからないとおっしゃっておられたが、ここまで調べていらっしゃった陣内さんに私達は感激した。
2. 橋のしこ名(場所はよくわからない) 思案橋(しあんばし) いっしゃん橋:キツネが化かすという評判。
3. 水争いについて 特定の場所はわからないが、あったことは確かである。
4. 田んぼで良く米がとれる所とそうでない所があったか 収穫の差はなかったとおっしゃっておられた。
5. 収穫量について 収穫量は、戦前は1反6〜7俵。化学肥料を使い始めてからは1反10俵くらい。今は質を重視するようになり、1反8俵くらい。
6. 裏作について 裏作はすべての田で可能。
《調査を終えての感想》 しこ名を調べるために突然お宅にうかがったにもかかわらず、快くお宅に入れてくださって、詳しく親切にお話していただき、みなさんの人のよさに驚き、嬉しかったです。 広大な田んぼを見ながら、この三日月町の農業後継者がたった2人というのはとても残念だと思いました。 本当にいい経験になりました。 |