【小城郡三日月町長神田・高田】 現地調査レポート 第47班:943188吉岡 寧 943191吉丸慎也
たずねた方 長神田区長・野口 進さん(69歳)。
一等田…字五坪(じゅうご)、字六坪(おごう) 良田…字四坪 悪田…字壱坪(いちのつぼ)、字七坪、字八坪、字九坪(しもんまえ)※特に字八坪、字九坪は水利が悪く、かなりの悪田だったようです。
しこ名は字壱坪、字五坪、字六坪、字七坪、字九坪に関してはわかったが、他は全くわからなかった。田の質は十等に分かれていて、1等田から10等田まであったそうです。圃場整備以前は、袴田、長神田、高田で水争いが起こったそうです。圃場整備以前は1反で6〜7俵、圃場整備以後は8俵とれたそうです。あと、天山から吹き降ろす強風の被害が深刻だったそうです(冷害ではない)。
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『レポート付録』〔上記のレポートとは別に添付されていた:入力者注〕 白地図の清書だけではおもしろくないので、ここに付録をつける。
《調査時の話》 7月11日、午前11時、小城郡。 ここに2人の探検家が降り立った――。 というほど大袈裟ではなかったが、まぁ見知らぬ土地ゆえ、探検といっても過言ではない。
<長神田> 祇園川付近でバスから降りた我々は、一路、字長神田(ちょうかんだ)を目指した。地図によると、祇園川沿いに南下すればいいらしい。早速、川へと向かった。だが。祇園川沿いに舗装された道路はないのであった。代わりに付近の住民が草を刈って作ったと思われる、地面にトラックにタイヤ跡のくっきりついたオフロードがあった。我々がそこを通ると、大量のショウリョウバッタ(洒落だ)やコオロギが出迎えてくれた。 更に受難は続く。 我々は汗だくになって祇園川を下り、長神田らしき集落を見つけた、までは良かった。が。「ここは字長神田」などと書いてある看板もなければ、福岡市ではよく見かける緑色のプレート(例えば「谷1丁目24」などと書いてある縦長のプレート)もなかった。どうやら郵便局の管理の手が届いていないようだ。 したがって我々の聞き込みは、「ここは長神田ですか?」という質問から始まった。 60歳代とお見受けする実年の老婆にうかがったところ、「ここは長神田(ちょうかんだ)だ。昔からそう呼んでたよ。しこ名?知らんな。区長さんに聞いたら?」という答えであった。さらに数軒まわってみたが、お年寄の方でもご存じない様子だ。(そういう返事だったのだから仕様がない) 我々は区長宅へと向かった。区長は、我々の質問に応じてくれた。しこ名については白地図をご覧いただきたい。このレポートは、さらに以下の情報を補足する。
1. 《圃場整備の最大のメリット》 @ 整備前 下の図のように、一旦、水田に使った水は下流へ流してしまう。つまりもったいない。 〔図省略〕
A 整備後 〔図省略〕 上の図のように、水を循環させ、長持ちさせることができる。 また、良田・悪田もなくなり、均一化された。
2. 長神田が本村で、高田は後にできた支村である。 3. 長神田は山脈(高取山、焼山、愛宕山など)のふもとに位置するため、颪による風害がおき、稲がやられることもあった。 4. 長神田では、化学肥料の導入より、天気が収穫を左右する。
それにしても、お年寄の方でも、しこ名を知る人が少ないのには参った。 尚、我々の年代の若者が来るのは珍しいらしく、区長はよろこんでおられた。
<高田> 我々はさらに高田へ向かった。区長の家はすぐにわかった。区長を訪ねる前に数軒まわった(留守の家をのぞく)が、やはりしこ名は知らぬとのこと。ただ、聞き出せた情報(しこ名に代わる通称)は白地図に清書してある。 区長の話のうち、興味深いものを記す。
《水争い》 実は、これについては区長の話がくい違う。 長神田の区長「高田、袴田、長神田が水争いをやった」 高田の区長「水争いはない」 長神田の区長は、高田の区長より6歳年上である。
高田の区長は、我々に茶にアイスもくださった。今年は多分豊作であろう。 |