【小城郡三日月町長神田、大寺】 現地調査レポート 51班:943233藏重 貴 943217牛丸 晋 943222大原俊範
お話しを伺った方 池田 栄さん(76歳)
・ 圃場整備以前は戊(みつ)・高田の方から用水を取っていて、干ばつの際には北浦ため池の方から用水を取り入れた。水争いはこれといってなかったそうだ。圃場整備後は西足かり水路〔原文ママ、西芦刈水路カ:入力者注〕から用水を取り入れている。
・ 米のとれる量にはたいした差はないが、水路に近い等の理由で一等田と名づけられた田ん中もあった。
・ 圃場整備前には、反当最高10俵で、平均8〜9俵であった。
・ 裏作はだいたいできて、特に湿田はなかった。 |