【小城郡三日月町久米ヶ里地区】

現地調査レポート(聞き取った内容を「久米ヶ里」の地図に直接書き込んだもの)

(地図は佐賀県立図書館所蔵)

943189 守山潤

943170 森脇勝治

943164 宮崎慶政

話をお伺いした方

 香田ケサグリさん(83)

 

・しこ名のないところは坪数で呼んでいた。

・良くとれる所で7俵、平均6俵。

・冷田から水が湧いていたが、冷たすぎて冷田は草地だった。でも大事な水源だった。

・圃場整備の後、米の取れ高は1俵程度増えたが、麦は減少した。

 

(入力者注記 久米ヶ里の北西)

・砂利が砂が多く水はけが良かったので、小麦、ビール麦がよく穫れた。今は赤土。

(入力者注記 久米ヶ里の南西)

・水はけが悪く、麦などはあまり穫れなかった。

 

話をお伺いした方

 牧瀬寿男さん(56)

     ほとんどの水田は坪で呼んでいた。(入力者注記、千鳥式の坪割図アリ)

(入力者注記 久米ヶ里の南)

・この地域は土地が特によくないので裏作ができず、冬は空き地となっていたそうである。

 (入力者注記 久米ヶ里の北西)

・土質が良かったので、米の育ちはよい。冬から春にかけて小麦、ビール麦が栽培される。

(入力者注記 久米ヶ里の南西)

・湿田で米の育ちはよくない。裏作として菜種、空豆などを栽培。

 

・昔は用水路と排水路が同じであり、祇園川から水を引いていた。水が少ないときは北浦溜池を利用したそうだ。

 

<水争い>

 北の方の水を南の方まで引いてくるために、水不足の時は北の方が水をまわさなくなり、争いが起こっていた。そのため時間を決めて交互に水を使っていた。使用時間外でも水を使う人がいたので見張りの人もいた。



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