【小城郡三日月石木、土生地区】 圃場整備以前の水田について現地調査レポート 16班 943065是枝丈夫 943080 白水幹範 1 石木@ 圃場整備以前の旧水田の通称 no.1の地図に記入。(地図省略:佐賀県立図書館所蔵) A 各村の範囲(自治会、生産組合)の範囲 no.2の地図に赤線で記入。 B 圃場整備以前の各水田の水がかり、水利慣行 ・水系 松尾→小城町→石木(北郷水利)……主流 天山酒場−祇園川 蛭子町→小城町→三日月村久米・本告(もとおり)→石木(宝司水利) *北郷水利はno.3の図に経路を記入。
・水利慣行 雨のときは田ん中に充分にまんべんなく水が行き渡るが、雨が降らず干魃になると、いらいらした人が夜中に分水堰を外すトラブルが起こったことがあり、普通、各部落から1名の水利委員を選出して水利組合を開き、水不足の村に水を流すように協議しあう。 朝8時から夕方6時まで分水堰を外されないように、水番を付けたこともある。 ・現在 広域農道が作られた。 三つの深い井戸を掘っており、干魃の時に対処する。 ・将来 筑後川の水を引いてくるように負担金を納めている。 C 圃場整備以前の各田には上田、中田、湿田があったのか。 ・石木には一等田、中田、湿田がある。 田の等級の区別は土質の良さ、水はけの良さなどによる。(no.1の地図に記入) ・一等田 排水がよい。土質が良い。 反当収量 8〜9俵。 裏作……麦 ・湿田 水はけが悪い。 反当収量 6〜7俵。 裏作はしていたが、麦というよりもむしろ菜種、蚕豆などを作ることが多い。 ・圃場整備以後 高低のある土地を均衡な高さにしたので、土質が良いものも悪いものも混合してしまい、よい田ん中(一等田)、悪い田ん中(湿田)もなくなった。
調査に協力して下さった方 金丸豊彦さん(56歳)
2 土生@ 圃場整備以前の旧水田の通称 no.2の地図に記入。 A 各村の範囲(自治会、生産組合)の範囲 no.2の地図に赤線で記入。 B 圃場整備以前の各水田の水がかり、水利慣行 ・水系 石木と同じく北郷水利 松尾→小城町→石木(北郷水利)……主流 天山酒場−祇園川 蛭子町→小城町→三日月村久米・本告(もとおり)→石木(宝司水利) *no.3の右図に参照の通り、土生遺跡の地点から土生、砂田(いさこだ)、久蘇(くそ)、勝(かす)、石木へと水を流した。
・水利慣行 昔から今までそれほど変化はなく、北郷水利組合の中で、組合長、各部落から選出された水利委員で水量問題について協議し合う。 ・圃場整備以後 貯水ができるようになり、干魃にも対応できる。 井戸を掘って、また干魃の時に対処する。 C 圃場整備以前の各田には上田、中田、下田があったのか。 ・特別上田、中田、下田の区別はなく、湿田もなかった。 ・土生は一般的に言って水不足になりやすい。 反当収量 豊作の時 6〜7俵。 不作の時 4〜5俵。 裏作……麦、菜種、蚕豆など。 ・圃場整備以後 土地の高低によって、また個人の土地の広さに応じて圃場整備が行われた。 その結果として (1) 農業経営が非常に楽になった。 (2) 機械化が進み、農業機具の導入により作業が容易になった。
調査に協力して下さった方 野中滝雄さん(74歳) 重松正義さん レポート、地図作成者 是枝丈夫 |