【小城郡三日月町堀江】

 

28班 田端清志、津曲兼輔

 

<堀江村>

【協力者】辻丸さん(44歳)、満身ますたろうさん(92歳)、満身廣樹さん(60歳)

 

 以前には、地図中左上の神社辺りから村をぐるっと囲むように堤防があったそうであるが、現在その堤防は圃場整備の実施によりなくなってしまった。昔存在していた堤防がなくなってしまったように、圃場整備以前とは土地の用途が変わってしまい、以前の区画の状態が把握しにくいため、しこ名(さんじゅうはちけん[恐らく、地図中二十八〜三十三辺りを指すと思われる]など)はわかっていても、どの場所であったのかはっきりしないものもあった。

 また、二十四水、二十八水と呼ばれる大洪水で、民家や小屋などが多数流され、水田と水田との境目がわからなくなったために、しこ名も自然に消滅したものもあるようだ。しこ名が消滅した別の原因として、以前所有していた土地が他の人に渡り、それとともにしこ名も失われていった(忘れられた)ということを仰る人もいた。

 少し前後するが、二十四水、二十八水の洪水が起こる前までは、区画ごとにしこ名の書いてある石碑やその土地を祭った像などがあったようだ。しかし、その石碑や像は二十四水、二十八水の水害によって流されたり、壊れたりしたため、近くの公園に祭ってあった。実際、祭ってあるといっても、ただ積んであるというようなものではあったが…。

 また二十三〜二十九の土地は島溝村の人が所有している土地もあるようだ。調べたかったのだが、時間の余裕がなく、それを調べるまでには至りませんでした。

 

【補足】

 しこ名を知っていらっしゃる人のほとんどが、昼間は仕事へ出ており、夜にならないと帰って来られないということでした。



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