【小城郡三日月町樋口地区】 31班:長田洋一、西村清孝、二宮 慎 ☆しこ名の補足 ・本田寺と書いて“ほんでし”と読むのだそうです。これは昔、「本蓮寺」というお寺があり、その名前がなまって“ほんでし”となりました。 ・四の坪→しのつぼ ・十坪→じゅんつぼ ・六田田→ろくただ ・高田田→こうただ ・長島→ながじま ・“カラミ”というのは→「ガラミ」が海の近くという意味があるそうです。 ☆ 僕たちははじめ三日月町の役場の向かいにある「農業〇〇〇〇(忘れてしまいました)」というところに行きました。そこで、役場の建築課の人が知っているとのお話を聞いて役場を訪れたのですが、先生が言ったように行政レベルの区分けで地図上にいっぱい数字が書いてあるばかりで“しこ名”については何もわかりませんでした。でも役場の方が「ゲートボール場がある」と場所を教えて下さったので、早速行きました。 しかし、おじいちゃんは誰もゲートボールをしていませんでした。しょうがないので、農家を一軒ずつたずねていくことにしました。しかし、農家の人々は誰も家にいないのです。途方にくれて歩いていると、畑の中で作業しているおばあさんがいました。(彼女が1人目の聞き取り人物、山田さん)詳しくお話をしたところ、「それだったら伊東さんのところへ行くとよい」と言われました。伊東さんは現在、初田の村の体育館の管理をなさっていると聞き、僕たちは体育館へ行くことにしました。体育館で伊東信義さんにたくさんお話を聞きました。 ◎伊東信義さんは樋口の出身ではないのですが、区長に4回なった人です。(区長さんはここでは生産組合長も兼任する)そしてあまり関係はないのですが、現在は農協総代、土地改良幹事、共済組合総代などをなさっているそうです。 <伊東信義さん(62または63歳)のお話> @水争いについて このあたりを西足刈水道〔西芦刈か:入力者注〕が通っていて3部落(村のこと)について1つずつその水道から幹線が引かれています。 〔西足刈水道とその幹線の図表、省略:入力者注〕 前ページの図を見ても分かるように、水争いとは幹線ごとの争いと、初田、樋口、五條の争い(幹線内)と2種類あります。水が不足してくるとみんなで集まって幹線ごとに使用する時間を定め、不公平が生じないようにするのです。たとえば、「足田」のある幹線がAM10:00〜12:00までの2時間、「樋口」のある幹線が12:00〜PM3:00までの3時間、「江利」のある幹線は3:00〜7:00までの4時間というようにするのです。下流にいくにしたがって割り当てられる時間は多くなります。 それでも水を不法に自分の畑に引こうとする人々はいます。(水を勝手に引くことを“盗み水(ぬすみみず)”という)そのような人々を監視するために、“立ち番”(今はあるかどうかはしらない)が設けられていました。戦前では脅しのために“立ち番”の人々は刀を持っていたそうです。今でも水について仲が悪い農家同士ではケンカをしているところもあるそうです。 A米がとれる田と、とれない田について 米がとれたり、とれなかったりする原因は2つに分けられます。 1 土壌の質がどうか。 2 農家の人々が努力しているかどうか。
1番の土壌の問題は田んぼの中に砂の層があるのかどうか、ということです。圃場整備以後は地下70cmまでは土質が安定していて、現在は問題ないそうです。以前は田んぼによって砂がいっぱいあるところがあったそうです。(砂の層があり田んぼに水がたまりにくい田を“そうけた”と呼びます。“そうけた”とは竹で編んだカゴのことで、“ざる”のようなものでしょう。宮町は“そうけた”だった。)〔ざるの絵図省略:入力者注〕田ん中1つで1俵以上の差が生じた。 2番の農家の人々が努力しているかどうか、というのは伊東さんが言うには、「学生さんでも勉強するやつもおれば、遊ぶやつもおる。」ということで、灰や草を田に入れて肥料とすれば土も肥えるけど、何もしない田はやせています。どちらが米がとれるかは明らかです。(頑張ってたくさんお米をとる人を“徳が多い人”と呼ぶそうです。) B湿田について 〔絵図省略:入力者注〕 家の敷地のことを“ワサダ”と言い、“ワサダ”の周りは家に降った雨が流れこむために湿田になるそうです。 Cお話から得た知識 ・10a=1反で8俵半ぐらいとれる。 ・昔は1人1年で3俵食べる(180kg)。 ・むらのことを部落と呼ぶ。 ・ヒノヒカリ、コシヒカリなどを作っている。 ・出稼ぎがほとんど本職化 ・どんどん田んぼが宅地になっている。田んぼが宅地になるときは遺跡の調査をしなければならない。(県教育委員会)その体育館の裏には土生(はぶ)遺跡があります。(遺跡は授業で出てきましたね) ・トラクターなどの農機械に1000万以上を使うけど、最近では共同では使用しないので(出稼ぎとの関係)、農家はたいへんな出費らしいです。 ※伊東さんのお話が終ったのがPM3:00すぎだったので、江利まで調べることはできませんでした。 ☆終わっての感想 僕たちの班はよい聞き取りの人に会えて運がよかったです。ずっとクーラーのきいた部屋でお話を聴いていました。農業を行うことは本当にたいへんだと思いました。(西村清孝) 伊東さんの住所を聞いているのでお礼状を後で送ります。 ‘省略図等佐賀県立図書館所蔵資料に記載 |