【小城郡三日月町織島赤司・深川地区】
第39班 L1-12 943143外園、943162宮崎、943165宮本 <補足説明・赤司>話者:犬山氏(50歳)、轟氏(72歳) ・キタンヤシキ(五坪):「北屋敷」。ヤシキはかつて家があった所。 ・ショーイヤダ(七坪北部):庄屋に由来 ・シンシードー(九坪西端):シードーは水道で水路の意。シンは新で、まとめて「新しい水路」の意。 ・サクラギ:(十一〜十四坪):元、サクラギ氏が居を構えた。 ・ヒラキ:(十六坪西〜十七坪東):「開」で、後の開墾地か? ・カワバタヤシキ(十八坪):「川端屋敷」。 ・ヤクシサン(二十三坪西):薬師さん。かつて薬師地蔵があった。 ・カワムコウ(三十〜三十二坪):赤司集落の中で、祇園川に隔てられた地域。「川向う」。 ・ジゾウマエ(三十三坪北):二十八坪南に地蔵があったことに由来。「地蔵前」。地蔵は現在、移転。 ・しこ名には田圃の面積そのままのものもある。例)ニタンゴシエ(二反五畝) ・畦道のうち、境界や集落への通り道になっている幅二尺程度(≒60cm)のものを、カクミチといった。 ・収量:昔 7俵/1反(約420kg)、今 8.5〜9俵/1反(約510〜540kg) ・シカイシードー(二十一〜二十四坪南端):「四界水道」か?シカイ…赤司、緑、深川、立物。 ・川沿いの地域は、土壌がよく水を吸い、水持ちが悪い。 ・サクラギ辺りは川から遠く、また、三粁程北から水を引っ張ってくる為、水について不利で、よく干上がってしまっていた。 ・南東部の二十五・二十六・三十五・三十六坪は肥沃。 ・圃場整備時は基本的に等面積で交換した。 <補足説明・深川>話者:深川氏(62歳) ・テラニシ(六〜八坪):九坪にある寺の西側の意。「寺西」。 ・(ムラ)マエダ(十二〜十五坪):深川集落の前(南側)にあるの意。「(村)前田」。 ・サクラギ(十六〜十八坪):赤司サクラギの項に同じ。 ・キカズ(三十六坪):持ち主の思っているほど収量があがらないことから。言うこと「聞かず」の意。 ・ネイガワ(ネリガワ)は、現在では西平川と公的に名付けられている。 ・シイデ(ネイガワの七坪南と、十六坪北東に存在)は、取水口の意。七坪南のものをウエシイデ、十六坪北東のものをシタシイデという。 ・一〜五、十、十一坪、字三ヶ所は、古くは桑畑地帯。しかし、昭和40年頃に廃れ、以降、ミカン畑を経て、現在はモモ畑となる。 ・収量:昔 6〜7俵/1反(約360〜420kg)、今 8.5〜9俵/1反(約510〜540kg) ・尚、ネイガワ沿いでは裏作として麦が作られている。 収量:昔 4〜5俵/1反(約240〜300kg)、今 6〜7俵/1反(約360〜420kg) |