2015年度・定年退職後
http://hdl.handle.net/2324/1508413 126)九大図書館から発見された『背振山堺図』(ひらき書・三色濃分絵図) ーー元禄五年(一六九二)、黒田藩・筑前側が主張した国境ーー
定年記念論集『歴史を歩く 時代を歩く』所収 http://hdl.handle.net/2324/1508402 127) 聞書集 1佐々木哲哉先生 2差別を乗り越える 3にかわづくり 4メモ「とろす」 5船住(ふなずま)いの家族 報告してくるのなら、勲功 6小泉八雲が訪ねた芸能村 史料 Kokoro Apendix “THREE POPULAR BALLADS”
定年記念論集『歴史を歩く 時代を歩く』所収 128) ほらの達人 秀吉・「中国大返し」考
Thoughts on “Chugoku Ogaeshi (Bicchu Ogaeshi)” of the Boaster Hideyoshi QIR(機関リポジトリー)6月12日登録 http://catalog.lib.kyu? ??? ?shu-u.ac.jp/recordID/1516170 キーワード 明智光秀 織田信孝 飛脚 書状 備中 高松城 備前 野殿 沼城 姫路城 山崎 山陽道 Keywords AKECHI Mitsuhide, ODA Nobutaka, Hikyaku (express messengers), Bicchu Province, Takamatsu-jo Castle, Bizen Province, the Sanyodo Road, Nodono District (in Okayama pref), Numa-jo Castle, Himeji-jo Castle, Yamazaki district (in Osaka pref), Hideyoshi’s letter *先遣隊・6月4日清水宗治切腹の日のうちに高松出発→6日姫路着。途中も分散して道中警護。 *秀吉・6月5日高松発 備中・備前の国境を越えた野殿で待機、そのあと沼城へ→6日宇根泊(推定) →7日姫路入城 これまでの研究者は「衝撃的なスピード」「驚き」と書いているが、姫路までについては書かれた 文字(ほらばなし)を信じすぎ?神業というほどではないけれど、全行程、きわめて敏速であった ことはまちがいない。私見では4日、宗治切腹は検視の堀尾茂助に任せて、姫路隊出発の段取りを していたことになる。さすが秀吉、と改めて思う。