佐賀現地調査レポート (大字今村 中通・普恩寺地区) 調査日:1997年12月21日 調査者:山本万平(1LA97281■) 後藤清彦(1LA97111■) 河合勇治(1LA97080■) バスに揺られること2時間余り、僕たちは値賀郵便局の前でバスを降りた。そこでは十数人が降りたが僕らを除いて、みんなもと来た道をまたのぼり始めた。簿記たち3人はその場にとどまり、じっくりと地図をながめた。少し下ったところに値賀駐在所があるのが分かっていたので、何か分かるかもしれないと思って、とりあえず行ってみた。駐在所には鍵がかかっていて中に1人駐在さんがいた。僕たちの姿を見て、外へ出てきた。このあたりを調査している旨を伝え、古くからある農家はどのあたりかということを尋ねた。駐在所からはちょうど中通地区の家々や田畑が見渡せたので、「あのあたりは全部古くからの農家だから、そこに行って聞けばいい」と指さして教えてくれた。駐在さんの教えてくれた通りに道を下っていった。次第に家々が道の左右に立ち並びはじめたので、中通に入ったことが分かった。家の前に広い庭がある1軒の家が目に入ったので、とりあえずはそこでたずねることにした。門をくぐるとそこは作業場をかねた庭のようだった。女の人たちがたくさんの大きな皿をふいたり、片付けたりしていて、あわただしかった。御老人が1人いたのだが、老人の話をさえぎるように女の人が「公民館に早く行きなさい。このあたりの年寄りが集まっている」と言ったのでとりあえずはそこへ行ってみることにした。公民館の外観は普通の一軒家で、周囲の風景と何の違和感もなかった。公民館の戸を開けた瞬間にいやなが予感していた。中には男女合わせて十数人のお年寄りがいたのだが、部屋の真ん中に応接台がおいてあり、日本酒の瓶も散見された。玄関先で用件を言うと「まあ、上がりんしゃい」ということになり、上がることにした。 一番詳しいという御老人の側に座ったが予想通り、いきなり酒をすすめられた。僕たちは未成年でお酒は飲んではいけないので丁重にお断りをした。次に料理を出された。特にタイの塩焼きはすごかった。前長50cmはあっただろうか、とてもおいしかった。 ところでその御老人の名前は八島常吉さん。年齢を聞くと[77.5歳]と答えた。小数点を使うというのはなかなか若いセンスだと思った。八島さんは若い頃このあたりを計量してまわったそうだ。今日なぜみんなが集まっているのかというと、昨日石本米雄さんの息子さんの結婚式があり、石本家から老人クラブに酒や料理がふるまわれるからだ。このあたりでは式を挙げた家から老人クラブに、長寿を願って酒をおくるというのが昔からの慣習となっているそうだ。僕たちが先ほど尋ねた家は偶然にも石本米雄さんの家で、結婚式の片づけをしていたのだ。 とりあえずしこ名について聞きたかったので、「しこ名」という言葉を使って説明したが、「しこ名ちゃ何ね?」ということになり、意味が通じない。そこで石本さんの所で2,3出た名前、例えば「タチノウエ」「ウラヤマ」を使って説明すると「なんね、あだ名のことね」とようやく意味が通じた。(後で行った普恩寺ではあだ名では通じず、地区の人は「呼び名」という言葉を使っていた。同じ大字今村なのに不思議である)八島さんは僕たちが呼び名を言ったら、どこどこにあると地図に示してくれると言ったが、何しろこちらは呼び名さえ分かっていないのである。それを伝えると「それでは教えられない。無数にあるから」というような事をおっしゃったので、どうしようかと思ったが、石本さんのところで聞いた「タチノウエ」「ウラヤマ」をとっかかりとて教えていただいた。 八島さんの話で、今村と中通が並列関係にあるのではなく、大字今村の中の小字中通という関係であるということが始めて分かった。大字今村の中には中通の他に、仮立、下宮、普恩寺という小字があった。 結局6,7個のあだ名は収集することができたが、これ以上のあだ名の収集は酒を飲んでいる最中の相手方にとっては迷惑以外のなにものでもないので、地図の方を見なくてもいい別のことを聞くことにした。 まずは水関係についてであるが、このあたりの田は今村溜から水を引いており、「野崎」まで水路が整備されているそうである。しかもその水路は土の下にある。つまりパイプで送水しているのである。今村溜から水を引いている田を「コウチダ」という。1年に1回みなで水路を掃除するそうだ。また、「水番さん」という、用水を平等に配分する役があって、これは任期が1年で、集落の人から選挙で選ばれる。ちゃんと報酬もあるということだった。 次に古道について。昔からの道は今も残っている。大字今村の北方に原子力発電所が建設され、大きな新しい道ができたが、それは古い道をほぼそのまま利用したものであり、ところどころ古道と新しい道が分かれている。僕たちが今話をうかがっている中通公民館はちょうど古道と別に新しい道ができたところにある。この新しい道を「原発道路」とその地域の人は呼んでいるのだが、原発道路から見るとこの公民館は奥まったところにあるのだが、実はかつてみんなが利用していた古道沿いにある。 現在の農業一般について。米はほとんど農協(値賀農協)を通している。野菜は御老人が小遣い銭かせぎでつくっている程度で、収穫量が少なく、「値賀の里」というところで都市から来る人に安売り・直売りする。 村の範囲ではあるが、だいたいはわかったが、あいまいな所もあった。というのは、例えば小字仮立から小字中通へ移ったとしても、前の小字がいいといって仮立を名乗る人がいるからだ。実際、中通地区なのに仮立という家は少なからずあった。 村の祭りは大字今村4地区(下宮、中通、仮立、普恩寺)合同の値賀神社での春祭り(4月19日)、秋祭り(10月19日)があった。ちなみに住宅地図には値賀神社への道は中通側からしか書かれていなかったが、実際にはその階段の反対側、下宮・普恩寺側からも神社へ行く道があり、集落を結ぶ交通路として昔から利用されていたようだ。 あだ名をもっと収集するため、先ほどうかがった石本さんの家にもう一度行ってみた。するともう片付けは終わっていた。ここでも公民館と同じくらいのあだ名を収集することができた。若い人、お年寄りがいりまじっていたのでスムーズかつ正確に収集することができた。 次の調査地区である普恩寺までの行き方を教えてもらってその家を出発した。途中子犬がついてきたが、いつのまにかいなくなった。小学校のわきを通ったが田舎の学校とは思えないくらいとてもきれいだった。九州大学とは月とすっぽんだった。普恩寺地区に入り、まず1軒の家にうかがった。その家周辺の「呼び名」は分かったがそのほかのところは範囲まではよくわからなかった。そこで今度は山の方の家をたずねることにした。1軒目はおばあさんの耳がきこえず、その娘さんらしき人しかいなかった。娘さんらしき人は「すぐ下の家のおじいさんに聞いてみたら」とおっしゃったので、そちらの方にうかがうことにした。 坂を下ると、おじいさんが農業小屋のようなところで作業をしているのを目にすることができた。僕はそのおじいさんに「僕たちは九州大学の学生で、今現地調査に来ていて、普恩寺について調査しているんですが、少々お時間よろしいでしょうか」と尋ねた。おじいさんは軽くうなずいてみせた。僕は地図を見せて調査を開始しようとした。おじいさんはその地図を覗き込んだが、老眼のために見えなかったらしく、家の中へ入っていき、その後僕たちを家の中へ招き入れた。しばらくして、おじいさんが老眼鏡をかけて戻ってきた。いよいよ本格的な調査の開始である。 まず今回の現地調査の主要課題である「しこ名」について尋ねた。先の聞き込みで普恩寺には6つほどの「しこ名」がついている地区にわかれていることがわかっていたので、僕は「普恩寺のなかでも6つぐらいの地区に分かれていて、そのそれぞれに名前がついていると思うんですが、その名前を教えてくれませんか」と聞いた。おじいさんはよく把握できていなかったらしく、首をかしげた。僕が「例えば、門前町とか……」と言うと納得したらしく、地図を指しながら次々と「しこ名」を教えてくれた。その「しこ名」は地図に記載する通りである。 それから僕は「他にもいろいろお聞きしたいんですが、お時間よろしいでしょうか」と尋ねた。おじいさんはにっこり笑ってうなずいてみせた。 まず田1枚1枚にも名前がついてあるのかどうか訪ねた。おじいさんは「田んぼには名前がついていない。でも番号がついてあって、1番から2000番くらいまであるんだ。原発のところが1番で、自分の田は709番だ」と言った。要するに、田1枚1枚にはそれぞれ地番がついているということである。次に水のことについて尋ねた。おじいさんは「ここら辺は丘陵地帯なので、昔は湧き水を使っていた。今はため池があって、水路をゞかテイル」と家の外の丘陵にはりめぐらされたパイプを指さして言った。僕が「水のことで何か問題はありませんか」と聞くと、「最近は水不足はない」と答えてくれた。近くに海があることもその原因なのだろうか。また「水のことやため池のことで何かルールはありませんか」と尋ねると、「田んぼに水入れが始まると、日当を出して専門家を呼ぶんだ」と言った。専門家というのは農家の中から選挙で決まる人のことらしい。中通でも聞いた水番のことであろう。普恩寺ではその人に日当を払うそうだ。あと、ため池には松浦川から引いて補充するそうである。 次に祭りのことについて聞いた。これは仮立で聞いたのと同じ答えが返ってきた。4部落で春と秋に1回ずつ収穫祭があるそうである。 それから、ここら辺の農家と普恩寺との関係を尋ねた。ここで言う普恩寺とは文字通り寺のことである。おじいさんは「ここら辺は普恩寺さんの檀家なんだ。ここら辺だけでなく、浜の浦、平尾もそうだ」と教えてくれた。ここに来る途中、普恩寺を見たのだが、なるほど大きな寺であったことを思い出した。 原発ができて生活にどのような変化が生じたか尋ねてみた。おじいさんは「人間関係が悪くなった」と答えてくれた。つまり、発電所建築に賛成する者と反対する者でいさかいが生じ、言いたいことが言えなくなったということだ。昔は皆仲が良かったのに、今はまさに『隣は何をする人ぞ』状態だそうだ。しかし九電側結局金の力にものをいわせて、強引に発電所建設を決行したそうである。おじいさんは少し淋しそうな表情を見せた。 それから、ここに来る途中に見かけた牛のことについて尋ねた。「あれは何のための牛ですか」と聞くと、「あれは繁殖用の牛だ」と答えてくれた。肉牛を飼育しているのはプロだけだそうだ。 そしてここら辺がほとんどそうである『古館』姓について尋ねた。『古館』姓は昔太閤秀吉が石工を連れてきて、その石工が由来となっているそうである。 最後に名前と年齢を聞いた。名前は「『古館正美』です」と答えてくれた。「お年はいくつですか」と聞くと、おじいさんは「いくつに見えますか」と僕たちに言った。河合君が「25歳くらいですか」と言うとおじいさんは笑って「79歳です」と言った。とても79歳とは思えないほど、外見も若々しく、言葉もはっきりしていた。 僕たちはお礼を言って、古館正美さんの家を出た。課題を終え、とてもすがすがしい気分である。
<水源> 今村・・・今村溜 普恩寺・・甲頭溜 1年に1回、選挙によって「水番さん」が選出される。 この役職は給料制でこの人が配水などの仕事に従事する。 <お祭り> 春祭り(4/19)秋祭り(10/19) 下宮・中通・仮立・普恩寺 「お日待ち(おひまち)」の祭り 普恩寺のみ |