弔辞 永田俊輔くん、永田くん。あなたは、今どうしてそこにいるのですか。私がなぜ今こ こに立っていると思いますか。返事をしてみては如何ですか。いつものように少しずつ でよいから。 返事をしないのですね。そういえば、君はバツの悪い時には全く沈黙する癖があった な。 どうやら、私は君の友人代表として、君の葬儀の弔辞を読んでいるらしいのです。そ もそも君と私は友人ですかね。本当の友人といえば、他にも適任者が大勢いるに違いあ りません。君もいつもうるさい先輩のボクが弔辞の役割だなんて、嫌でしょう。なん か、怒られているようで。 君の大学院時代、いろんな研究上の関心と行動が、私とほとんど重なり合っていたか らでしょうか。とはいえ私は、確かに、君の大学時代も知らないわけでもありません。 君は別府大学で日本史を勉強していましたね。中世と呼ばれた時代に、宇佐八幡宮をめ ぐって繰り広げられた歴史像を明らかにしようとしていたことを記憶しています。同時 に、大分県内のさまざまな村落に、教員や気の置けない仲間たちとともに調査に入り、 その土地のお年寄りから、人々の暮らしのあり方、その痕跡を丹念に聞取り調査し、記 録化していく作業にも真面目に取り組んでいました。一緒に村を歩いた、その仲間たち が今日も大勢来ていることが、あなたには見えているはずですね。 私はその頃、京都から九州大学の大学院に移ってきて間もない時でしたが、同じよう に村落の現地調査を行って研究している私としては、別府大学のあり方には大変興味を もっていました。そのなかでも中心的なメンバーであった永田君に注目するようになっ たのは、自然なことだったかもしれません。当時、別府大学のなかで、学生による集団 の調査を円滑に行うにはどのようにしたらよいか、しかもそれがつねに新しい方法と意 欲をもって継続されていくにはどうしたらよいのか、ということに、あなたほど腐心し ていた人を知りません。 一方、そのようななかで、君は宇佐八幡宮の研究よりも、むしろ村落の人々のあり方 を研究する方に本格的な関心が移り、大学院に進学したら、是非郷里の福岡県の村落を 調査したいと思ったようですね。別府大学の仲間への気持ちを大切なものとしながら も、九州大学に進学するよう強く薦めたのは私でした。 君が九州大学に進学することについて、学力的な不安は双方にありました。実際、それ はあらゆる場面で見え隠れしていましたね。先輩として、厳しく叱責したことも数知れ ません。しかし、一方で、平野の続く筑後市、棚田のきれいな星野村、干拓地が一面に 広がる柳川市、とさまざまなタイプの故郷・福岡県の村落を調査するあなたは、そしてそ の様子を楽しそうに語るあなたは、大変充実しているように見え、私もとても嬉しく 思っていたのでした。 永田くんは、村落で聞取り調査をすることで、たんにお年寄りから情報を得ることだ けに満足するのではなく、昔を語りそれを後世に残すことができたお年寄りの側の喜び に共感し、しかもそれを自分自身の心に写し取り、自らの成長に高めていく技術を、知 らず知らずのうちに、身につけようとしていました。それはしばしば私が経験してきた ことでもあり、それこそ、あなたと私が最も共感できる部分であったでしょう。今年の 正月、そうしたあなた自身の経験をもとに、さらに九州大学の学生たちの例も合わせな がら、君が優れた研究発表をしたことは記憶に新しいところです。それが、あなたが公 に行った活動の最後になってしまいました。 眼の治療がうまくいったら、私と山口県の海辺の村落を一緒に調査することになって いたではありませんか。あなたが亡くなったというその日、そんなことを知らない私 は、あなた宛に、今後の計画について、電子メールを送っていたほどだったのです。そ のメールを複写したものが、今あなたの傍らに納められている不思議を思います。 あなたとはいろんな作業をする際に、つねに一緒になりましたね。調べてみると、たっ た一年間だけでさえ、二〇〇時間以上も、二人っきりで様々な作業をしていました。そ の時、いろんな話をしましたね。学問、政治、経済、芸能、スポーツ、恋愛。そして君 のさまざまな悩みについてさえ。 ある時、君が語った話で、私はしばし眉を潜め、しかし深く感動したものがありまし た。 この場でこれを話すことに、君は決して同意していないと思うけれど、あえて言いま す。永田くんは、大学に入る前の、まだ青年になる準備をしている時期に、とてもつら いことがあって、自ら命を絶つ決意をしたそうです。ビルの屋上に立ち、まさに身を投 げ出そうとするその直前に、あなたは、そっと空を見上げたそうですね。静かに見上げ た。青い空と、どこからともなく感じられてくる穏やかな風の心地に、あなたは自分を 取り戻し、死ぬことの愚かさ、生きることの素晴らしさを初めて知ったと言っていまし たね。永田俊輔くんは生きることの意味を見出した。 それゆえにこそ、あなたは生きて、生き続けなければならなかったのではありません か。 あなたは、何故、もの皆芽吹くこの季節に、花を捨てていかねばならないのですか。 あなたは、何故、子どもたちが駆け出していくこの季節に、道を離れていかねばなら ないのですか。 その幾つかの「何故」への納得できる回答は、誰であろうと、何より君自身でさえす ることはできないでしょう。なぜならば、あなたは、立派でなくても小さな美しい花を 咲かせたかったし、デコボコであってもまっすぐな道を歩んでいきたかったからです。 その歩みを、生きるという形で示したかったからです。 それだからこそ、あなたの瑞々しい精神と肉体を奪ってしまった病を憾みます。あなた を愛して止まなかった御家族や、私たち、そして何より君自身の悔しさを思うのです。 「生き返ってこい」と言ったら、君は怒るか。「私はこの葬式に同意しない」、「こ こ数日間のことはなかったことにしたい」と言ったら、君は笑うか。私は、私の精一杯 のあなたへの餞に、あなたが笑ってくれていることを期待しているのですよ。いつも の、はにかんだような笑い声を、その姿に重ね合わせながら。 二〇〇二年四月二三日 前原茂雄