現地調査のためのマニュアル(
改訂) 020607改訂HAT目的(全学教育の観点から)
1 現地は圃場整備(機械化に対応した耕地の大規模化)や、あるいは都市化、あるいは過疎化で相当な変化があった。こうした変化の前の状況を記録化する作業を行う。その作業を通じて半世紀前に青春を過ごしたひとたちの生活と、現代の生活の差。直接にたずねて、質問する中で、先輩たちの過去の暮らしを考え、またそれ以前の人々たちの暮らし(歴史)を考え、さらに自分たちの暮らしを考える。
2 地図の読み方ほか手元で入手できる資料の扱い方や情報の読みとり方・整理の仕方を学ぶ。
3 調査は机上の勉強とはまったくちがう。実際に聞き取りをさせていただく方と、事前に連絡を取り、調査がスムースにいくように段取りをする。みしらぬ初対面の人にどうやってお願いしたらいいのか。もしも事前の折衝でうまくいかなかった場合にどう対応するのか。調査の終了後、相手の方たちも君たちとよい時間が過ごせたと思ってくださるように。レポートを書き上げることが第一の目的だが、それだけではない。社会に出たら経験しなければならないことの縮図。すべて勉強になる。
4 よいレポートを書くこと。レポートは後世への記録にもなる。有益な情報を整理してわかりやすく書く。なお後日原則としてホームページ上に公開したい。
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聞き取りの導入部・設問は記憶を呼び起こすためのドアと考えてください。
その1 農村
きょうはこの地域のむかしの様子、暮らしをおうかがいにきました。これがこの区域(むら)の地図です(地図1)。(*)それからこれが圃場整備前の地形図です(地図2*地図2は鳥栖の一部のみ)。それからこれが字名(あざな)を書いた地図です(*地図3、土地宝典。ただし行橋市の場合のみ。鳥栖市の場合は地図1に記入済みだから1と同じになる)。まず字名(あざな)の読み方を教えてください。----
地域の範囲はどこからどこまでですか。--------
地域の字名を書き上げた明治頃の一覧があります(資料4)。これは今使っているものと同じですか。---
それから、ここに書いてない地名も教えていただきたいのですが。地域の人たちや家族の間だけで使うような小さな地名はありましたか。しこなとかあだなとかいうかと思うのですが。なにか思い出していただけるな地名はありますか。-------
田んぼにそういう名前(地名・通称)はなかったですか。圃場整備の前の田にはどんな名前が?橋にはどんな名前がついていますか。用水はなんという名前ですか。池はなんといいますか。そういう名前はほかになかったですか。------
家に屋号はついていましたか。-------
道路や峠に名前はついていましたか。-------
<以上は地図に記入していく>
そういった地名の場所に何か思い出はありますか。-------
その2 山に近い村
(上記に追加していく)
川には淵の名前、滝の名前などありますか。
山には大木や岩に付いた名前、峠の名前、道の名前などありますか。
そういうところにはよくいきましたか。
炭は焼きましたか、収入はよかったですか。焼いたとすれば自家生産ですか、ヤキコでしたか。
その3 町
耕地を所有しない村では上記1,2の質問のうち耕地に関わる質問がなくなる。耕地がある村は両方の質問が必要になる。
50年前には家はどこにありましたか。何の商売をしていましたか。どんな屋号がついていましたか。--25年前にはどんな店がありましたか(職種)----
聞き取りの展開
その1農村
田んぼへの水はどこから引いていますか。川ですか、池ですか。川であれば、なんという井堰からですか(なんというイカリ・分水からですか)。50年前も、同じでしたか。水の量は潤沢ですか。水争いはありますか。水を分けるうえで特別のルールはありますか。----------
旱魃の時の思い出は?平成7年の旱魃は?雨乞いとかの経験はありますか。雨乞いはどんなことをしましたか。------------
台風予防の神事(風切り)などはありましたか。
用水路の中にはどんな生き物がいましたか、昔も今も変わりませんか。------------
田の中にはどんな生き物?川には?-------------
麦の作れる田と作れない田はありますか。むらの一等田はどこで、むかし(化学肥料の導入以前で)反当何俵でしたか。悪い田は反当何俵?------
むかしはどんな肥料を使われましたか、いまは?-------------
稲の病気にはどんなものが。害虫はどうやって駆除しましたか。--------
共同作業はありましたか。ゆいといいましたか。かせいといいましたか(双方が加勢するとユイ)。田植えはゆいでしたか、お手伝いの早乙女はきましたか。あるいは早乙女にいきましたか。---------
さなぶり(さなぼり)はありましたか。思い出は?------------
飼っていたのは牛ですか、馬ですか。
えさはどこから運んだのですか?(地図記入)-------------
草切山はありましたか?----------(地図記入)
薪はどうやって入手しましたか?---------(地図記入)
入り会い山(むらの共有の山、村山)はありましたか。どこに?---------(地図記入)
そこでどんな作業をしましたか。-----------
山を焼くことはありましたか。-------
昔の暖房具は?炭はどこで手に入れましたか。
馬は毎日洗いましたか。どこで---------(地図記入)
蹄鉄はしていましたか。馬の病気にはどんなものが?----------
牛を歩かせたり、鋤をひかせるときのかけ声は?右へは?左へは?---------
どうやって手綱は操作しましたか。一本?二本?------
ごって牛をおとなしくするためにはどうしましたか------
馬洗いはあるが、牛洗がないのはなぜ?
米はどういう風に保存しましたか?ひょうろう米(兵糧米、はん米・飯米)は?------------
ネズミ対策は?-----------
米作りの楽しみ、苦しみは?
昔の暖房は?炭はどこから買うのですか。
車社会になる前の道はどの道でしたか?--------
むらには外からどんな人がきましたか?行商人は?魚売りはどこから?-------
川原やお宮の境内に野宿しながら箕をなおしたり、箕を売りにくる人を見たことはありますか?-----
米は麦と混ぜたりしましたか。何対何ぐらい-------
自給できるおかずと自給できないおかずは?-----
おかしは?干し柿の作り方、勝ちぐりの作り方を教えてください------
食べられる野草は?-------
食べられない野草は?-------
結婚前の若者たちの集まる宿・青年クラブはありましたか。男だけですか?そこでは何をしていましたか。規律は厳しかったですか。上級生からの制裁とかありましたか----
力石は?---干し柿を盗んだり、すいかをとったりは?犬をつかまえてすき焼き肉やナベにしたことは?
犬はどうしたらつかまりますか。----
よばいはさかんでしたか。よその村からくる青年とけんかをしたりは?---
もやい風呂(共同風呂)はありましたか。
恋愛はふつうでしたか?-------
盆踊りや祭りは楽しみでしたか?祭りはいつ?-----
農地改革前の小作制度はどのようなものでしたか。-----
格差のようなものはありましたか。------
祭りの参加・運営は平等でしたか。-------
戦争はこの村にどのような影響を与えましたか?戦争未亡人や靖国の母は?-------
むらは変わってきましたか。これからどうなっていくのでしょうか。------
その2 町(町でも耕地を持っている可能性があるので、上記農村の質問もあわせ行う)
そのころの道とその後の道。昔の道はどのみちですかか。
店にはどんな
屋号があったのか。車が全盛になる以前には馬が重要な運搬力(マイカー、トラック)だった。馬はいましたか。---
蹄鉄はどの馬もつけていましたか。----
なぜ必要だったのか。蹄鉄はどこで誰がつけたのか。蹄鉄がない場合、馬は歩くことができたのか。
馬は毎日洗ったのか。どこで。馬の病気にはどんなものがあったか。
町にはどのような物資が入ってきましたか。
町からはどのような物資が出ていきましたか。
町にはどのような人たちが入ってきましたか。
それはどのような交通手段によっていましたか。
鳥栖市・鉄道は明治二二年。それ以前のことを誰かから聞いているか。
筑後川/水屋の浜・津出し場(筑後川沿いに港・内陸港があったはず)
大潮にはどこまで水があがりますか。小潮には?
海の食料(有明海のさかな)や各地の品物はここから運ばれたはず?
*鳥栖周辺の農村では米のほか菜種も栽培されていた。菜種からは菜種油ができ、「かす」もできた。それらは肥料として商品になった。町にとってそれらはどのような意味を持ったのか。
水車を使った粉ひきのような伝統工業があった。それを背景に大きな製粉工場ができていく。
はぜしぼりはみられたか。関連した仕事はあったのか。
片倉製糸が立地する。その背景には絹産業、蚕・桑畑つまり農業と工業のリンクがあった。
こうした町の形成過程(町の成り立ち、近代化)を具体的に説明してもらうことはできるだろうか?
配置売薬・日本三大配置売薬・富山の商人との関係(ライバル?協調?)
対馬領・朝鮮人参は宣伝にだけ使われたらしい。じっさいには朝鮮人参が入ることはなかったという。本当か。
(長崎街道や小倉街道)通った人々はどんなひと?
歴史的には大名、長崎奉行、オランダ人(シーボルト)、象・クジャクなど
やんぶし、薬売り
運送業者(馬車、車力)
薬売りはどこまで行ったか・家内工業・秘伝薬
彦山修験せんだち、やんぶし、やんぼし(山伏、脊振、九千部)との関係?
→彦山詣り(先達の勧誘、旅行会社JTBのようなもの)
町に来た人たちの中には意図せずして定着した人もいる。
鉄道のヤード建設のようなもっこかつぎ、重労働に参加した人たち(朝鮮・韓半島から)
わかっもん宿(若者宿)はあったのか?
もやい風呂はあったのか。
戦後の食糧難。若者や消防団が犬をつかまえて食べたというような話はありますか。犬はおねしょの薬だと聞いたことがありますか(体がぬくもる)。どうやってつかまえたのか。
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さらなる展開---話が先方のペースになっていくかもしれないが。
おとしよりのなかには戦争の話を一生懸命に語る人がいるだろう。まわりにいる家族は同じ話をくりかえし聞かされて食傷している。それでつい話す機会がなくなっているが、本当は君たちのような若者には語り伝えたいのだ。兵隊には行かれたのですか。戦地はどちらですか。こちらからも積極的に聞きたいものだ。男性だけでなく、女性も戦争未亡人や靖国の母などつらい戦争経験を持つ人もいるだろう。積極的に記録を残したい。
最後には
ありがとうございました。お生まれは昭和何年ですか。大正?
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│ 教師は教壇の上、大学の中にだけいるのではない。 │
└─────────────────────────────────┘
2事前の準備
A,村の概要の把握
指示された調査対象の村について
1角川日本地名大辞典・佐賀県、福岡県(六本松図書館開架室)
2佐賀県の地名、福岡県の地名(平凡社、六本松図書館開架室)
予備知識としてその概要を調べる。市町村史が刊行されていれば目を通しておく(県立図書館や九
大箱崎の九州文化史研究所などで調べたい)。こうした印刷物の内容そのものをレポートする必要
はないが、関連して言及する。村には農村以外にも宿場の村(街道沿いの村に多い)や山村、漁村
もある。窯業や林業で暮らし、農業にタッチしない村もある。マニュアルをふまえるが、ケースバ
イケース、臨機応変に村の性格に応じた質問を考えることが必要になることもある。
B,5000分または2500分の1の地図の入手
地図類は極力6月14日の授業時間中の配布したい。グループのうち一人が必ず受領すること。また人数が多いので、手渡せない場合も出てくるかもしれない。その場合は指示に従って、作成に協力してください。必要枚数が不足している場合は原図をもとに各自コピーする。現地調査用と清書用の2セットが必要になります。
鳥栖市は1万分1図にエ小字を書き込んだ地図(地図1)と圃場整備前の地図(全域ではなく、一部の調査値のみ)そして明治10年代の小字の書き上げ(資料4)、行橋市は国土基本図に土地宝典(いわゆる地籍図)および小字史料(福岡県史資料)
コピーする範囲は割り当てられた村の範囲全部。隣の村(他の人に割り当てられた地区)の位置
までコピーしておくこと。特に山は思っている以上に範囲が広いので注意すること。その村が市町
村境までが範囲であれば、そこまでコピーする必要がある。地図がなければ先方がせっかく話して
くれても、地図に落とせないということになってしまう。山も大事だということ。
地図には川、水路、谷(以上青)、主な尾根(緑色)、道路(茶色)、高圧線(灰色)、墓地
(こげ茶色)を、それぞれ色分けしておく(現地用、清書用とも、この色塗りは地図の理解を容易
にするためのものです。色塗り個所は調査対象域のみでよい。地図全域を塗る必要はない)。
行橋市の場合、配布する土地宝典を参考にして小字の境界を聞き取り用の地図に赤で記入し、小字名を同じく赤で書いておく(以上は調査用地図、提出用地図とも)。
*地図の記号を解説した凡例が地図には付いています(ふつうは右の欄外)。それもコピーしておいてください。これに高圧線、墓地、石垣などの記号が解説されています。
*道路と水路の区別の仕方。
道路は普通二本の線が平行線として書かれている。川や水路は太ったり、やせたりしていて平行
ではない。橋の記号に注目。橋の上を通るのが道、下を通っているのが水路(天井川は別)。
*尾根(緑)と谷(青)の区別の仕方
谷は川から続いている。尾根は山頂から続いている。尾根は心持ち丸く描かれ、谷は鋭角に描か
れる。
イ,25000分の1地図
目的地にたどり着いたり、現在の様子を知る上で必要。大きな本屋(丸善、紀ノ国屋、三省堂など)や地図専門店、博多合同庁舎売店で売っている。一枚二九〇円ぐらい。本当は各自で購入してほしいが、殺到すれば品切れになることもある。その場合はコピーで済ます。
2,住宅地図
鳥栖市については六本松図書館のカウンター(受付)前に配架されているので、各自で訪問先の分と周辺をコピーする。行橋市の場合は服部が手渡します。住宅地図には住所の番号(地番)も記入してあります。それを手がかりに目的の家を見つける(訪ねる本人の名前が出ているとは限らない。親の名前、または子の名前が出ていることもある。番地も併記されているから見当をつける)。
3,小字の位置の分かる地図
小字は手渡された資料を基に聞き取り用の地図に記入しておく(鳥栖市は記載済み)。通称地名・しこ名が何という小字の範囲にあるのかが確認できる。こうした資料は相手方もほしがることがある。置いてこられるよう、余分にコピーしておいた方がよい。
4,訪問先
---区長か区長さんの紹介者に窓口、話者になってもらいます。その一覧を授業中に張り出します。この役員から直接話を聞くか、または村に詳しいお年寄りを紹介してもらうことになります。5,事前の手紙
手紙を出してください。相手先は原則として区長。連絡がうまくとれないこともある。もしも連絡がうまくいかなかったとしても、過疎の村では人自体が少ないし、村の人たちもけっこう忙しい。当日に、その村で情報を多くもつ人を探し当てるということも重要。
*手紙を出す場合は君たちがいつ、何の目的で訪問するか、つまり何月何日の何時頃に訪問し何を
聞くかを明記する。お昼時は避けたい。いちおう12時半過ぎに行くとしたい。相手の都合を聞く返信用はがき(発信者である君たちの住所が宛先になっているもの)を入れる。念のため手紙が着いた頃に、確認の電話を入れた方がよい。はじめから電話を入れる旨明記してあれば、返信用のはがきはいらないことにはなるが、はがきを入れておいたほうが無難。はがきには発信者である君たちの連絡先・電話番号を書いておくこと。手紙は鳥栖市域を調査する人については6/7の授業時に服部に渡してくれれば、こちらで発送します。切手は不要です。この手紙を書かないグループは調査に参加の意志がないものと判断します。行橋市に行く人は直接切手を貼って各自で出してください。
*相手先住所の番地がわからない場合、行政区を書いてください。郵便番号は掲示します(郵便局のぽすたるガイド)。
*手紙を出したあと、何という人に手紙を出したか忘れてしまったという学生もいたが、論外。必ずメモを残しておく。
訪問を依頼する手紙のひな形
(以下は参考)--------------------------------------------------------------------------
拝啓
突然お便りする失礼、お許しください。わたしたちは九州大学の 年生で、いま大学で歴史につ
いて学んでいます。このたび授業の一環として、 地域の昔と今について調べるため、現地を
訪問し、以前の古いむらの姿について皆さん方からお話をおうかがいしようしようということにな
りました。
そこで、もしできましたら 月 日の 時前後に,さんのお宅を訪問させていただきたいと思ってい
ます。お聞きする内容は、圃場整備前の水田に付けられていた通称地名や、あるいは屋号、谷や川の名前、用水井堰の名前、また昔の水利のありかたや慣行、古道、また大正、昭和初期の村の姿、生活についてなどです。小字名などは既に調べてあります。どうかよろしくお願いします。もしご都合が悪いようでしたら、御近所の土地に詳しく、物知りの古老のかたをご紹介いただければ幸いです。はがきを同封しましたので、ご都合の良し悪しをお教えください。
月 日
住所
名前
電話番号
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(「この手紙がついた頃こちらからお電話いたしますので、ご都合の良し悪しをお教えください。」)
など文案は適宜工夫する。また次の服部の手紙を同封した方がよい。<君たちの手紙に同封する添
え書き>
-------------(以下を参考に作り直すか、ホームページから引用して使用する)---------------
拝啓
突然のお便り、申し訳ございません。私は九州大学の歴史学の教官をつとめるもので服部と申し
ます。私どもは以前より各地の村の昔の姿を記録にとどめる作業を、学生の皆さんと一緒に行ってま
いりました。今回はこの作業を, 市において実施する計画でおります。
そこでご多忙のところ恐縮ですが、 月 日の 頃に、学生 名がお訪ねいたしますので、
適宜、地名(とくに小字名以外の通称、私称地名)や水利などの慣行、また大正〜昭和初期の村の
姿、人々の生活などについて、お教え下さい。またもしご都合が悪ければ、そうしたことに詳しい方
を学生たちにご紹介いただけますれば、幸いです。お忙しい時期に、一方的なお願いでまことに申し
訳ありませんが、重ねてよろしくご協力のほど、お願いいたします。
なお区長さんのお名前については、以前に貴市教育委員会(市史編纂室)より教えていただいたものです。教育委員会においても、この調査の意義を認めてくださり、ご協力いただいております。どうかよろしくお願いいたします。
平成14年6月 日
〒810ー8560
福岡市中央区六本松4ー2ー1 九州大学大学院比較社会文化研究院教授
服部英雄
-----------------------------(切取線)---------------------------------------
手紙を出した以上は必ず約束の日時に訪問しなければならない。手紙は相手を拘束すると同時に
自分を拘束する。なお都合が悪いから別の日に来てくれといわれる場合もある。バスはその日しか借り上げができない。変更は利かないので、団体行動である旨説明し、別の人を紹介してもらう。
当日用意するもの
地図、資料、ノート、録音機とテープ(MDも可)、マニュアル、カメラ、雨具、
弁当、財布、帽子、日焼け止めなど 日射病にならないように水筒も。携帯については圏外の可能性もあるので、過信しない。*九大から調査に来るということで、場合によってはかなり期待されることもある(その逆に無視
されることもあるが)。期待にこたえられるようにしてください。
*当日の服装については、お願いした家を訪問するのだから、常識の範囲できちんとした格好をし
ていくこと。短パン・サンダル履きなどは、失礼になる。あまりに突飛なファッションもどうかと思う。その日は一日まじめな九大生でいてください。女子はいろいろなところを歩き回ることになるから、スカートよりはズボンの方がよい。虫さされ等にも注意。
*テープは持っていった方が、レポートを書くときに楽です。録音済みのテープ・MDには村名と
調査者の名前、調査の年月日を書いて提出して下さい。替わりに未使用のテープ・MDを渡します。
*ときどきバイトや深夜テレビで徹夜をしたあと参加する人がいる。相手の方の話を聞きながらコ
ックリコックリすることは、たいへんな失礼になる。万全の体調で臨むこと。
バス利用の場合の当日の行動
7月6日(土)鳥栖市・当日9時30分集合・六本松本館前,45分出発
7月7日(日)行橋市・当日9時00分集合・六本松本館前,10分出発
(班のパートナーがこなければ電話で確認を取る。急な事態が発生してパートナーが来ないこともあ
る。地図を一人だけが持っていて、当日あらわれないとなると、いつまでもバスが出発できなくなっ
てしまう。地図は1班に2枚作るのだから、各自が持つようにしたい。なお定員60人のバスに学生
58人、TA1名、教官1名が乗ります。空席は順に詰めて、後からの人は補助席に座る。
9時45分出発→都市高速・九州道(基山サービスエリアでのトイレ休憩を経て)→鳥栖インタ
ー→鳥栖市
9時10分出発→都市高速・九州道(サービスエリアでのトイレ休憩を経て)→行橋市→だいたい11時
すぎ頃現地に着く。目的地はかなり広いので最初の人がおりた後、最後の人がおりるまで1時間はかかる。
後の方の人はおくれて目的の村に着くかもしれない。遅い人は12時近くなる。どこでおりたらよいのか。地図を見ながら今車がどこを走っているのか、常に確認しておく。下車時、道が狭いとバスが停車している間、後続の車を止めてしまう。最初に降りる人はサービスエリアの休憩時に交代し、補助席に入って、待機する。席が空いたら補助席の人はどんどん普通席に移って補助席を空ける。
村に到着したら手紙を出してあった人を訪ねる。
◎帰りは4時頃(予定)から来た道と逆のコースでバスが迎えにいく。来た道と同じコースを走る。バスの通過時刻は地図に記入して渡します。多少の誤差は出る。最後にバスに乗る人は5時頃になるだろう。必ず降りた場所で乗って下さい。ただし事前に服部の了解が得られた場合は、別場所で乗ってもいいし、早く帰ってもよい。連絡がないままに、乗車予定位置にいなければければ、バスはいつまでも発車できない。事故の可能性も考えて、無駄な行動を取らなければならないし、他のみんなの時間も無駄な時間、バスを待つことになる。
◎現地調査ダイジェスト版とポイント
何のための調査か
失われつつある通称地名を古老から聞き取り、それを記録して後世に残す。そのほか記録されずに
忘れられつつある昔の村の姿・記憶を記録する。
レポートに記載しなければならないこと
*調査した学生の名前と学籍番号:別記事項として鉛筆で住所および帰省先。それぞれの電話番号。
*聞き取りしたおじいさんおばあさんの名前と生まれた年(例:佐賀太郎;大正5年生まれ)
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村の名前,地名・しこ名(カタカナ)一覧
△△,(*向こうが漢字を教えてくれた場合は漢字も併記する、必ずカタカナを先に書く)。
田畑,小字**のうちに-------,◇◇,□□、■■、◆◆
小字△△のうちに--------◎◎、◯◯
ほか(宅地とか山林とか)
小字▽▽のうちに---
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*必ず地図を付ける。住宅地図は参考資料として添付してください。正式には5000分の1の地
図を付ける。*小字はしこ名の位置が正確なのか、確認するために必要。
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村の名前,使用している用水の名前,用水源,共有しているほかの村
△△,◎◎井手,嘉瀬川石井樋,△△ほか15カ村
昔の配水の慣行・約束事,昔の水争いの有無
水を全部とってはいけない。しがらの堰でせいて,,++分水点で**村とよく争った。その原因は-----。
下流にも水を流す。
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△△井手,(以下同様に)
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村の範囲;地図に図示する。,古道;地図に図示する。
一日の行動記録と古老から教えていただいたことをレポート用紙(パソコン・ワープロ)5枚以上
に(分量が多い方が良い)。話してくれた内容も多い方がよい。筋書きを追って整理した上での逐
語記録(相手がしゃべったとおりの記録)もよい。なるべく多く書いてください。写真は自由。
レポートの部数は各班(原則二人)で1セット3部。それぞれ以下のようにする
1:教官への提出分(これが正本、地図<色塗り>も一緒に封筒に入れる。テープのある場合は一緒に:正本の封筒には地区名・授業科目、曜日、時限、氏名、学籍番号を書く。なお下書きは地図とともに成績が通知されるまで保存しておくこと、服部が電話で質問する場合があります)。
2:教育委員会に送付する分(地図も含めコピーする、カラーコピーでなくともよい。):冒頭に
朱書きで、鳥栖市または行橋市と明記する。これはあとでまとめて服部が地元教育委員会に送ります。封筒不要。
3:お世話になったかたへの送付分(地図も含めコピーする):九大の封筒に、相手の郵便番号、
住所、宛名を明記してください。お礼の手紙も同封して、開封のままで切手を貼らずに提出するこ
と。服部が今後のお願いの手紙などを添付した上で発送します。封筒必要。服部から渡された「九大
の大型封筒」を使用してください。1、3は封筒に入れる。2は入れない。なお3の差出人は服部研究室
の名前になります。発送は成績評価・全体のレポート整理の後になるので、かなり遅くなります。ま
たお世話になった方が多くて、複数に出す必要がある時は、その分も用意してください。
レポートはできるだけパソコンで
みんなのレポートをパソコンでも保存したい。地図以外の本文はなるべく大学にあるパソコンで
入力して、保存の際には「テキストで保存」し、それをEメールでhatt@rc.kyushu-u.ac.jpに送ってください。送れない場合はフロッピーに入れて保存して、フロッピーを提出してください。一号館の情報処理教室一三〇、一三五、一三六教室で作成またプリントができます。ただしプリントが目的ではなく電算入力と、その電子保存が目的です。またレポートと同時に各種地図情報の入力作業を行う予定です。
6/28の授業は一三五教室で、TAの蠣崎さんがGIS(地図情報システム)入力の方法について説明を行います。
レポート、添付書類のタイトルは「歩いて考える歴史」「服部レポート」ではなく、調査に行った場所(鳥栖市・行橋市ではなく、行った地域の名前)の名前を付けてください。なおレポートはかならずプリントアウトしたものを提出し、あわせてメール送信(できなければフローッピー添付)すること。プリントアウトしてないと、成績評価から漏れるおそれがあります。フローッピー提出の場合は借用し、新品と交換します。できるだけEメールで送ってください。今後レポートは内容を適宜判断しつつ、服部のホームページhttp://www.rc.kyushu-u.ac.jp/~hatt/HOME.HTMで公開していきたいと思います。調査者であり、著作権者である君たちの名前は公表しますが、公開に支障のある個人情報(住所や電話番号)は教官提出用のみに鉛筆・手書きにして記入してください。レポートの内容についてたずねる場合があるので、電話番号は記入をお願いします。また相手の話の中で、公開には支障のある内容、つまりプライバシーや差別に関する話題などが出ることもあります。省略はしないでください。ただし公開の際に服部が判断し、その部分を割愛することはありますが、みなのレポートにはありのままに書いておいてください。心配ならそこだけ手書きにすること。
このホームページには先輩たちのレポートも掲載してあります。また前回までの旧マニュアルも掲載してあります(*従前のものの方が詳しい)。一読をおすすめします。
なお初心者はよく「保存」の際に失敗し、せっかく打ち込んだ文字が消えてしまったりします。はじめに「保存」の方法をよく練習してから文字を打ち込んでください。プリントアウトした後、保存せずに消してしまう学生が毎年何人かいます。それでは電算入力した意味がない。くり返しますが、電算入力の意味はパソコンで保存し、公開し活用していくためです。なおどうしてもパソコンでうつことのできない人は申し出てください。
地図
*正確に地図に聞き取った地名を落とせたか。せっかく教えてもらっても間違った位置に記入して
いては、何の意味もない。
◎地図には小字の範囲と小字、そして調べた通称地名を文字で記入する。番号のみを記入する方法
は見にくいのでさける。カラーコピーは長期間には退色する。黒、赤の色鉛筆、サインペン、マジ
ックなどを使う。糊で貼り付けると何年かの後には劣化して落ちる。これもさけたい。「録音テ
ープにあるとおり」というような形でレポートの記載を省略しない。印刷されたレポートが基本。
レポートのポイント
*事前の準備◎地図は地形図に小字を記入したものを、あらかじめ用意できたか。
村の範囲はきちんと包括したか(山は特に広い)。
住宅地図を用意したか。その他参考資料を用意したか。
地図をきちんと準備できたか。事前に把握したか。色塗りをきちんとしているか(水路、道路、
高圧線。墓地)。聞き取るべき範囲を十分カバーする地図を用意していたか。リーダーに配布した
各資料を調査者が事前にコピーし、きちんと読んでいたか。マニュアルをしっかり読んでいるか。
*目的が十分、果たせたか。割り当てられた村をきちんと調査したのか。しこ名(あざな・通称)
というものを相手に理解してもらい、収集することができたか(調査する側が、調査の趣旨を理解
していなければ、目的をはたすことはできない)。*地名以外の調査項目をきちんと調べたか。
注意:レポートには事実の列挙だけではなく、それに対する話者の評価を(たとえば青年の行
動について「いいことばっかりじゃないんよ」、といったら、そうした事も含めてレポートする。
またレポートは臨場感あふれるように。話者の発言もなるべくそのままに方言も入れて書く。その
場の雰囲気が分かるように。どっと笑ったとか、このとき複雑な表情をしたとか、急に声を潜めた
とか、にやにや笑うとか。みんなは一流のマスコミ人になったつもりで。質が高く、読みやすい
「ルポルタージュ」を書く。レポートは事実に忠実に、そしておもしろく。みんなが味わったおも
しろさを伝えてください。
レポートの締め切り
最後の授業時間に回収します。ただしすべての作業がおわった段階で提出してください。まにあわない場合は服部に連絡してください。フロッピー・テープ・MDは交換で新しいものを渡します。なおレポート本文と地図、テープがバラバラになりやすいので、正本は封筒(袋)に入れて出して下さい。また成績評価が出るまで、地図及びレポートの原稿(下書き)は必ず保存して置いて下さい。
服部のメールアドレスはhatt@rc.kyushu-u.ac.jpです。メールでの質問にはメールで対応し
ます。メールを送る場合は、返信を一,二日以内に読めるようにしておいてください。なおこちら
が不在のこともあり、そうであれば返信は出せません。あまり過信はしないでください。
レポートは必ず印刷物で提出すること。服部の研究室は本館5F33です。
GIS(地図情報システム)入力
6/28の指示に従うこと。マニュアル、パスワードはそのとき渡されます。