さて本書はこの叢書の第2冊となる。備後国大田庄の現地調査を長年にわたり続けてこ
られた前原茂雄氏による、庄内のひとつの村、赤屋村に関する現地調査報告である。大田
庄のイメージは長年に亙り、中世文書が多数残る上原村によって語られてきた。それはも
ちろん重要なことだが、他の庄内の村々も同様な様相だったのか。上原村を調査するのと
同様に他の村を調査してみたらどのような村落像が提出できるのか。赤屋村は上原村に隣
接する。建久四年(1193)高野山の鑁阿はこの「赤屋郷内常々荒野拾町」の開発を命
じた。いま赤屋には法音寺の仏像(重要文化財)や明覚寺また文裁寺の石造物が残る。ま
た過去には、弘安銘五鈷鈴が存在した。これらからいっても、中世にはかなりの勢力のあ
る者がいたと考えられるが、その背景となった村の姿はどのようなものだったのだろうか。
前原氏はこの点をさぐるべく徹底した調査を行った。さいわいこの村には近世の検地帳類
が多数残っている。これによってまずは近世の姿が明瞭になる。切畑帳による切畑、すな
わち焼き畑所在地の位置が復原可能になる。驚くことにその比定地は現在は水田になって
いるという。近世に遡る段階までで既にこうした変化があった。つづいて中世の村落像に
せまる作業が試みられる。
  大田庄の現地調査の報告として最近のものに国立歴史民俗博物館『共同研究「中世荘園
遺構の調査ならびに記録保存法」』(研究報告二八集)がある。私もこの共同研究に参加
し伊尾村に関する報告を行っている。実はこの調査の一年次(昭和59年<1979>か)
には私は赤屋村を調査していた。嵐のひどい日にずぶぬれになって自転車でまわり歩いた
記憶もある。今ノートをみてみると藤井恒氏、藤井登市氏、藤井正雄氏、藤井静良氏、池
本氏、国正利明氏らの名前が控えてある。しかし一橋大学の永原慶二先生のグループ(川
島茂裕、蔵持重裕氏等)が赤屋村を中心に調査されるというので、それまでの調査成果で
ある地図類を渡して、私は伊尾村の調査に移った。ただし歴博報告書では分析・考察に主
眼がおかれた。優れた考察であり、村落調査の手本を示してはいるものの、記録を主にし
た記述は多くはなかったように思う。赤屋村に関するムラの記録の作成は、共同研究にお
いてはいくぶん積み残したままになった仕事のように思っていた。そこに前原氏の精力的
な仕事が登場した。自分の体験からみても、前原氏の調査はきわめて精力的で、精緻なも
のである。漏れはないという感さえある。今後開発の進行と高齢化によって次第に調査が
困難になっていくことを考えると、いかなる人も前原氏の成果を越えることは難しいよう
にも思う。氏の報告の中にはサンカの話も出てくる。村人の全員と、とことん語りつめよ
うという氏の姿勢によって、初めて聞き取ることができた話ではないだろうか。荘園故地
の調査記録の作成という点に関しては、一つのモデルになるように思われる。
 氏の調査の特色は調査成果の還元である。調査の後には、その成果を地元の方々に報告
する会を開いてきたという。いうは安いが実行はなかなかに困難な仕事である。今回の報
告書も、まず第一に協力者である地元の方々に還元されることであろう。

                         1997年12月25日

                                                 服部英雄

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