回想黒薙川北又谷

 この谷には二度入った。一度は3日ほどかかって黒岩平まで出ることができた
が、その次は荒天で、長瀞手前に2泊ほどして、そこから尾根に逃げて引き返し
た。そのあと柳又谷にはいって、尾根から登山道を北又谷に出たことがあった。
新しいダムをそのときにみた。そののち95年水害で、渓相が全く変わってしま
ったことを知った(『日本の渓谷’96』)。
 過去の北又は日本一の美渓だった。その谷に若き日に入渓できたことは幸せだ
った。静かな流れの長瀞は人間が無くし、豪壮な魚止滝は自然が無くした。もう
あの美しかった北又谷は存在しない。
 第1回(丸山和夫と二人)
 急行「越前」だったか、「能登」だったか、そのころはまだあった夜行列車で、
早朝「泊」の駅に着く。それより朝日町文化財調査員の長津蔦尾先生のご自宅に
いった。北又谷の概要をお聞きし、「秘境北又谷奥地紹介展・解説資料」をいた
だいた。このガリ版刷りの資料は今もたいせつに持っているが、なかなかすばら
しい。あわせて北又谷本流徒渉図というガリ刷りの地図ももらった。また越道峠
から吹沢までの尾根道の様子も聞く。たしか車で越道峠まで送っていただいて、
北又谷小屋から最初の遡行はずいぶん快調だったように記憶する。一カ所ぐらい
アップザイレンをしたのだろうか。長瀞には案外早くついたような記憶しかない。
長瀞には少しはいりかけたが結構深く、アドバイスどおりに高巻く。巻きから少
し下って行き詰まる。京大生が即死したとおどかされていたところだ。アップザ
イレンは一回ですむ。それより沢をいき、魚止め滝手前でザレ尾根に上がり、途
中から滝まで往復する。そのあとの平ら(砂ぶきの平)で二度ほど迷うが、赤布、
カンカラなどがあり、懸垂二回で恵振谷出合に出た。懸垂地点には木の枝に捨て
縄があるから迷うことはない。出合の淵と叉右衛門滝が美しい。ここで幕営。骨
があって先行者が魚を食べたあとが歴然、しかし我々の腕ではつれない。何しろ
この時まで生まれてから一度も魚を釣ったことがなかったのだ。確か川原に寝て
いて夜中の雨で台地に逃げた。
 翌日は淵を左に見ながらアンサビラにあがる。ここも少し上がりすぎて迷うが、
長尾谷手前に下りた。そのあたりで釣竿が巻き道に落ちていて拾った。ニク谷出
合を過ぎたあたりにものすごく岩魚が群遊している淵があった。川虫を捕って投
げるとたちまち大きな魚がくわえたが、初心者の悲しさ。糸が穂先からとれてし
まう。目印をひっぱって泳ぎ廻っている魚を見たら、とても悪いことをした気に
なった。丸山が一匹つり上げ、記念撮影をした。
 その先については当時のメモによると、かきおり谷出合周辺に「この中に険悪
な廊下あり、最初の滝を早く降りすぎるとここに入る、ザックは濡れるが通過は
可能」とある。淵を泳いでいる写真があるが、ここだったろうか。そのあと一度
台地に上がってから漏斗谷出合に出た。ここで泊。
 翌朝はチョイ巻きをして懸垂で降りる。朝早くにまた濡れるのはいやだったが、
腰あたりまで浸かって前進。たぶんここが長持渕。
 だんだん水流がきつくなり前進できない。丸山も私も進めず。次第にからだが
冷たくなってくる。そこでザックを岩の上に置き、アンザイレンして空身で進む。
しばらく水流の激しいところにサラされてモガいていたが、そこをさけて、反対
側にすり寄ったら、案外に流れの緩いところがあって、岩に上がり、やっとジッ
ヘル体制に入った。ここの通過のことはよく覚えている。
   そのあと通過不能の三段滝があり、台地に上がってまた懸垂でおりた。とにか
くここほど捨て縄を多量に使う沢はない。
 黒岩平からの沢の出合に着いたときはまだ時間は早かったが、泊まりを決定。
このあと本流に釣りに行ったら、今度は大きな岩魚が釣れた。生まれて初めての
岩魚。手ぬぐいに包んだら、どうしてもはみ出たからかなり大きな魚だったはず。
   翌日黒岩平をめざして上がっているとものすごい雨になった。間一髪危機を脱
していたことをあとで知る。黒岩平は車ゆりなどお花畑の美しいところだった。
 土砂降りの中朝日へ。朝日の小屋には記念物課の補助金で建てた自然保護施設
がある。事実上物置になっていたが、そこに入れてもらう。そのあと豪遊のはず
だったが様子がおかしい。そのころ登山客を乗せたトラックが越道峠への林道か
ら転落するという大事故が起きていたのだった。

第2回(丸山和夫とその友人千田氏)
 雨で増水していることは予測していたが、勢いで出てきてしまった。しかしこ
れほどまでに渓相が変わっているとは。前回全く問題がなかったところが、こと
ごとく通れない。高巻きの連続で、一度は川を泳ごうとして流された。同じとこ
ろで徒渉していたもう一パーテイーのザイルにつかまって、何とか命を長らえた。
川原に出ようとしても砂利に足を取られ、ずるずると足が滑った。そのあと高巻
きの最中、ジッヘルし忘れたザックが川まで落ちて、水で急に重くなったことと、
ドジした落胆で、すっかりばててしまった。また草付をトラバース中に落ちた事
も覚えている。セカンドでの落下だったが、ピンが衝撃をとめたのか、誰も落ち
たと思っていない。ずるずると川まで滑ってザイルをはずして登り直す。トップ
の丸山が何していたかというから、落ちたといったら「こんなとこで落ちた?」
という顔をしていた。さんざんだった。
 しかし魚はよく釣れた。長瀞の入り口で丸山が釣った岩魚は本当に大きかった。
小食の丸山先生は食べきれずに残していた。本当の話です。残り2名の釣った魚
もまあまあだったが、今写真を見ても全然大きさが違う。
  確か退却しようということになって沢を下りだしたところで、石の陰にいた魚
を釣った。これはまちがいなくでかかったが、喜んでみていたら、びんびんと2、
3回跳ねて糸を切って逃げてしまった。もっと早く手首をかえして岸に上げろと
しかられた。しかしむしろほかの二人はどうやってここから逃げるかに心を砕い
ていたので、釣りに惚けている小生の楽天性にあきれていたようだった。結局こ
の時は下るのは危険すぎるということで、また長瀞まで戻って一泊した。もっと
もこのあたりの記憶は曖昧。トラバースで落ちたりしたのはこの日だったかも知
れない。魚釣りの意欲もだんだんなくなっていた。
 3日めは、現在も北又への入渓路として使われている沢から尾根へのルートを
辿って退却した。この道は何かの記録にあったか、長津さんから聞いていたかで、
小生が提案したように思う。最初はあまり良くなかった。尾根にでたらかすかな
踏みあとはあったかも知れない。連日の雨でさすがに心細くなってきており、登
山道に出たときは、やあ助かったと確かに思った。


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