はじめに・本書の構成(ガイダンス)
第−部みそさく・ようじゃく
第一章 周防国仁保庄の荘園地名
---現地景観が語る真実と文献史料が語る虚実
はじめに
一 平子氏館とその周辺
二 三浦文書・手継証文の史料批判
まとめ-浅地の養着と重嗣菩提寺長寿寺の立地が意味するもの
第二章 みそさく考
はじめに
一 上野国
1群馬県邑楽郡大泉町下小泉の御正作 2群馬県太田市強戸の三惣作
3群馬県太田市沖之郷の三双作 4栃木県足利市里矢場の御正作
二 下野国
5栃木県小山市卒島の御正作
三 下総国
6栃木県小山市上梁の味正作
四 常陸国
7茨城県真壁郡関城町船玉のみそさく 8茨城県常陸太田市幡のミソフ作(ミソフ柵)
9茨城県常陸太川市瑞竜町小野のミソウ作 10茨城県水戸市渡里町圷の味増作(ミゾウサク)
11茨城県那珂郡大宮町西塩子のミソウ作 l2茨城県那珂郡大宮町下岩瀬の味相作
13茨城県新治郡出島村牛渡上郷のミソザク14茨城県土浦市田村上郷の味惣作
五 甲斐国
15山梨県中巨摩郡敷島町中下条の御証作
むすび−中間報告として
第三章 地名による中世常陸国真壁郡長岡郷一帯の景観復原
−−−みそざくと叶(かのう)
はじめに
一 里の景観
1地名の収集 2地名の特色 3長岡の水田 4下小幡の水田 5白井の水田
二 溜池の歴史
三 堀の内・前田と御正作(みそざく)
四 山の景観
1焼畑地名・叶
2焼畑地名が下々畑として検地帳に記載された意味
3山の地名−クボ・ホッキリ--
おわりに
第四章 遠江国初倉庄の荘園景観の復原-堤防の中のニショウダク
第五章 周防国与田保故地における用作--低地滞水域の開発をめぐって
はじめに
一 与田保故地に残る荘園関係地名
二 夕作はなぜこの地にあるのか
三 滞水地帯の開発−灸川と堀川−
四 条里遺構との関連
五 地頭支配の展開
六 歴史資料としての地名の価値
第六章 防長のヨウジャク
はじめに
一周防のヨウジャク
1山口県防府市西佐波令・中河原の用着
2山口県防府市大崎・漆の用尺
3山口県佐波郡徳地町鯖河内・安養地の用作
4山口県山口市小鯖・毛割の幼若
5山口県山口市平川・平井の用作
6山口県山口市大内・奥小野の用作
7山口県吉敷郡小郡町小郡上郷奥畑・木船の用尺
8山口県熊毛郡田布施町宿井・石ノ口の用作
9山口県熊毛郡平生町大野・中村の用作
10山口県熊毛郡平生町尾国の用作
二 長門のヨウジャク
11山口県豊浦郡菊川町上保木の用借
12山口県豊浦郡菊川町下岡枝・茶屋の用借
13山口県豊浦郡菊川町日新・行政の用作
14山口県豊浦郡菊川町大字吉賀・防迫の用作
15山口県豊浦郡豊北町粟野・郷上の用作
16山口県豊浦郡豊浦町厚母郷の用作
17山口県厚狭郡山陽町山野井・粟田の用尺
18山口県厚狭郡楠町舟木・伏付の用作
19山口県宇部市東須恵・中野の用尺
20山口県宇部市如意寺・渡瀬の用作
21山口県阿武郡阿東町生雲東分・持坂西の用着
22山□県美禰郡秋芳町嘉万・栢木の用作
三 用作田の形態--まとめにかえて
第七章 筑後川下流域・クリーク地帯における荘園景観と淡水灌概
−筑後国三潴庄と肥前国神崎庄
はじめに
一 三潴庄荒木村の中世耕地景観と大井手(非クリーク地帯)
1 中世地名と灌漑系統
2 広川流域の用水の歴史
二 三潴町田川の用作
三 大木町奥牟田の立野の用作
四 城島町楢津諏訪の用作
五 佐賀県神崎郡千代田町用作
1 中世神崎庄における干潟の新田開発
2筑後川河口津である神崎庄津・蒲田津と用作
六 クリーク景観はいつ形成されたのか−景観の遡及−
1八院・白垣の現景観
2揚水器具の発達史
3アジア各地のデルタ地帯の淡水灌漑
七 中世文書からみた筑後川下流域-松浦山代文書にみる白垣村と網縄池−
八 筑後川下流域の中世景観とその形成−むすびにかえて−
第2部 地名の史料学
はじめに
第一章 明治地租改正と小字の決定-北浦定政の業績によせて
第二章 播磨国鵤庄の嘉暦絵図と小地名
第三章 近江国 邇保庄図にみえる小地名の検討
第四章 山城国乙訓郡(小塩庄)条里図による小地名変遷の検討…条里図に対する史料批判
第五章 乙訓郡条里地域における小地名収集とその史料的価値--あわせて久我庄等の荘園景観を復原する
一 通称地名(旧小字)の収集
二 条里制との関連から
三 久我庄故地における景観復原と地名
四 その他の乙訓郡域の歴史地名
第六章大和盆地における小地名の変遷
第七章 荘園地名のうち、名地名の意味するもの
第八章 能登国万行保・奥原保故地における中世の村の復原−−−消された小字を甦らせる
一 万行保
二 奥原保
第九章 肥前国神崎庄故地における条里村落と地名−−里界により決定される村
残された課題
第3部 荘園景観の遡及的復原法
第一章 荘園景観の遡及的復原法
はじめに
一現地調査はなぜ必要か--播磨国福井庄樋守・肥後国八代庄井樋を素材として−
1播磨国福井庄の汐浜干拓と樋守
2肥後国八代庄八千把村における汐浜干拓と井樋
二 荘園景観の遡及的復原法−播磨国大部庄を素材として−
1準備作業
2近世景観の措定
3中世的景観の復原
三 集落形態の検討と考古学
1散村から集村へ
2文書に記されなかった屋敷−考古学の成果
四 古道を歩む人々
第二章 備後国地?庄(地毘庄)の復原的研究
一 地毘庄の山内首藤氏
はじめに
1鎌倉期の山内首藤氏
2南北朝期の山内一族の動向−貞和七年一族一揆
二 地毘庄本郷の景観復原
1滑良谷
2藤木谷ほか
3高山門田とその周辺
4大池(おうのの池)・別所池ほか
5田原溝
6田原土居
7地頭館と甲山城
8残された課題
三 質入担保となった備後国地毘庄
はじめに
1研究史とその問題点−文応二年千光寺領目録の疑点−
2領家方史料について
3地毘庄荘園領主とその変遷
4借銭による領主の移動-文書の伝来−
むすび
第三章 安芸国三入庄の復原的研究
第四章 伯耆国国延保の復原的研究
はじめに
一 醍醐寺蓮蔵院領国延保の沿革
二 貞和五年下地中分
三 貞和二年中分取帳錯簡の修正
四 国延保の耕地景観と名の復原
第五章 豊前国金田庄故地における中世景観の復原--南北朝期の名の存在形態
はじめに
一 金田庄の沿革
1 金田庄の初見史料
2 金田庄の伝領
3 金田庄の正平十一〜十二年
二 金田村田畠坪付類の整理と復原
三 金田村故地における条里制耕地の復原
1 中元寺川左岸における条里制
2 彦山川右岸、弁城・迫・宝珠地区における条里制
3 赤池町市津、石松周辺の条果
4 上金田・東金田の条里制
5 金田・宝見・黒尾の条里制
四 金田村における名と耕地
ア四郎丸名
イ南木久永名
ウ宮得名、エ石松名・土内名
オ久永名 カ黒王丸名 キ用王丸名 ク得松名 ケ末里名 コ成松名 サ正弘名 シ直方村
小括と残された問題
むすび-名と勧農
第六章 肥前国長嶋庄と橘薩摩一族
はじめに
一長嶋庄の成立−根本開発領主の群像
1 権門領(前段階)長嶋庄の寄進主体
2 蓮花王院領長嶋庄の成立
二長嶋庄入部までの橘薩摩氏
1 出自
2 御家人橘薩摩公業
三 条里制耕地の復原作業
1 坪並の復原
2 条里(里名)の復原
四 花嶋村地頭の所領構成−名と十楽浮田
五 地頭橘薩摩一族による村々の支配
1 公員流
2 公助流
3 公義流
六 村立事−長嶋庄における南北朝の動乱−
七 文書の伝来−むすびに代えて
残された課題
第4部 中世城館の研究視角
第一章中世城館論--近世城郭への連続と非連続
一 中世城館の特質
二 中世城館の機能
A交通との関係
B集落との関係
C中世城館の日常的な支配機能
D軍事面からの考察
第二章 飛脚篝によせて
一 のろレマラソンー飛脚篝
二 近世の「のろし」史料
1萩藩の場合
2岡山藩の場合
3長崎周辺の峰火台
4福岡藩の場合
5佐賀藩の場合−江戸ヘ廿四時
6大村藩の場合
7薩摩落の場合
8土佐藩の場合
9和歌山藩(紀州藩)の場合
10弘前藩の場合
11西蝦夷地の場合
12琉球王国の場合
三 飛脚旗
四 城館と鐘・太鼓
むすび
成稿の過程
あとがき