服部英雄『景観にさぐる中世』(1995,新人物往来社刊)目次

はじめに・本書の構成(ガイダンス)

第−部みそさく・ようじゃく

第一章 周防国仁保庄の荘園地名

     ---現地景観が語る真実と文献史料が語る虚実

はじめに

一 平子氏館とその周辺

二 三浦文書・手継証文の史料批判

まとめ-浅地の養着と重嗣菩提寺長寿寺の立地が意味するもの

第二章 みそさく考

はじめに

一 上野国

 1群馬県邑楽郡大泉町下小泉の御正作 2群馬県太田市強戸の三惣作 

 3群馬県太田市沖之郷の三双作 4栃木県足利市里矢場の御正作

二 下野国

 5栃木県小山市卒島の御正作

三 下総国

 6栃木県小山市上梁の味正作

四 常陸国

 7茨城県真壁郡関城町船玉のみそさく 8茨城県常陸太田市幡のミソフ作(ミソフ柵)

 9茨城県常陸太川市瑞竜町小野のミソウ作 10茨城県水戸市渡里町圷の味増作(ミゾウサク)

 11茨城県那珂郡大宮町西塩子のミソウ作 l2茨城県那珂郡大宮町下岩瀬の味相作

 13茨城県新治郡出島村牛渡上郷のミソザク14茨城県土浦市田村上郷の味惣作

五 甲斐国

 15山梨県中巨摩郡敷島町中下条の御証作

 むすび−中間報告として

第三章 地名による中世常陸国真壁郡長岡郷一帯の景観復原

      −−−みそざくと叶(かのう)

はじめに

一 里の景観

 1地名の収集 2地名の特色 3長岡の水田 4下小幡の水田 5白井の水田 

二 溜池の歴史

三 堀の内・前田と御正作(みそざく)

四 山の景観

 1焼畑地名・叶

 2焼畑地名が下々畑として検地帳に記載された意味

 3山の地名−クボ・ホッキリ--

 おわりに

第四章 遠江国初倉庄の荘園景観の復原-堤防の中のニショウダク

第五章 周防国与田保故地における用作--低地滞水域の開発をめぐって

はじめに

一 与田保故地に残る荘園関係地名

二 夕作はなぜこの地にあるのか

三 滞水地帯の開発−灸川と堀川−

四 条里遺構との関連

五 地頭支配の展開

六 歴史資料としての地名の価値

第六章 防長のヨウジャク

はじめに

一周防のヨウジャク

 1山口県防府市西佐波令・中河原の用着

 2山口県防府市大崎・漆の用尺

 3山口県佐波郡徳地町鯖河内・安養地の用作

 4山口県山口市小鯖・毛割の幼若

 5山口県山口市平川・平井の用作

 6山口県山口市大内・奥小野の用作

 7山口県吉敷郡小郡町小郡上郷奥畑・木船の用尺

 8山口県熊毛郡田布施町宿井・石ノ口の用作

 9山口県熊毛郡平生町大野・中村の用作

 10山口県熊毛郡平生町尾国の用作

二 長門のヨウジャク

 11山口県豊浦郡菊川町上保木の用借

 12山口県豊浦郡菊川町下岡枝・茶屋の用借

 13山口県豊浦郡菊川町日新・行政の用作

 14山口県豊浦郡菊川町大字吉賀・防迫の用作

 15山口県豊浦郡豊北町粟野・郷上の用作

 16山口県豊浦郡豊浦町厚母郷の用作

 17山口県厚狭郡山陽町山野井・粟田の用尺

 18山口県厚狭郡楠町舟木・伏付の用作

 19山口県宇部市東須恵・中野の用尺

 20山口県宇部市如意寺・渡瀬の用作

 21山口県阿武郡阿東町生雲東分・持坂西の用着

 22山□県美禰郡秋芳町嘉万・栢木の用作

三 用作田の形態--まとめにかえて

第七章 筑後川下流域・クリーク地帯における荘園景観と淡水灌概

       −筑後国三潴庄と肥前国神崎庄

はじめに

一 三潴庄荒木村の中世耕地景観と大井手(非クリーク地帯)

 1 中世地名と灌漑系統

 2 広川流域の用水の歴史

二 三潴町田川の用作

三 大木町奥牟田の立野の用作

四 城島町楢津諏訪の用作

  五 佐賀県神崎郡千代田町用作

 1 中世神崎庄における干潟の新田開発

 2筑後川河口津である神崎庄津・蒲田津と用作

六 クリーク景観はいつ形成されたのか−景観の遡及−

 1八院・白垣の現景観

 2揚水器具の発達史

 3アジア各地のデルタ地帯の淡水灌漑

七 中世文書からみた筑後川下流域-松浦山代文書にみる白垣村と網縄池−

八 筑後川下流域の中世景観とその形成−むすびにかえて−

第2部 地名の史料学

はじめに

第一章 明治地租改正と小字の決定-北浦定政の業績によせて

第二章 播磨国鵤庄の嘉暦絵図と小地名

第三章 近江国 邇保庄図にみえる小地名の検討

第四章 山城国乙訓郡(小塩庄)条里図による小地名変遷の検討…条里図に対する史料批判

第五章 乙訓郡条里地域における小地名収集とその史料的価値--あわせて久我庄等の荘園景観を復原する

 一 通称地名(旧小字)の収集

 二 条里制との関連から

 三 久我庄故地における景観復原と地名

 四 その他の乙訓郡域の歴史地名

第六章大和盆地における小地名の変遷

第七章 荘園地名のうち、名地名の意味するもの

第八章 能登国万行保・奥原保故地における中世の村の復原−−−消された小字を甦らせる

 一 万行保

 二 奥原保

第九章 肥前国神崎庄故地における条里村落と地名−−里界により決定される村

残された課題

第3部 荘園景観の遡及的復原法

第一章 荘園景観の遡及的復原法

はじめに

一現地調査はなぜ必要か--播磨国福井庄樋守・肥後国八代庄井樋を素材として−

 1播磨国福井庄の汐浜干拓と樋守

 2肥後国八代庄八千把村における汐浜干拓と井樋

二 荘園景観の遡及的復原法−播磨国大部庄を素材として−

 1準備作業

 2近世景観の措定

 3中世的景観の復原

三 集落形態の検討と考古学

 1散村から集村へ

 2文書に記されなかった屋敷−考古学の成果

四 古道を歩む人々

第二章 備後国地?庄(地毘庄)の復原的研究

一 地毘庄の山内首藤氏

はじめに

 1鎌倉期の山内首藤氏

 2南北朝期の山内一族の動向−貞和七年一族一揆

二 地毘庄本郷の景観復原

 1滑良谷

 2藤木谷ほか

 3高山門田とその周辺

 4大池(おうのの池)・別所池ほか

 5田原溝

 6田原土居

 7地頭館と甲山城

 8残された課題

三 質入担保となった備後国地毘庄

はじめに

 1研究史とその問題点−文応二年千光寺領目録の疑点−

 2領家方史料について

 3地毘庄荘園領主とその変遷

 4借銭による領主の移動-文書の伝来−

むすび

第三章 安芸国三入庄の復原的研究

第四章 伯耆国国延保の復原的研究

はじめに

一 醍醐寺蓮蔵院領国延保の沿革

二 貞和五年下地中分

三 貞和二年中分取帳錯簡の修正

四 国延保の耕地景観と名の復原

第五章 豊前国金田庄故地における中世景観の復原--南北朝期の名の存在形態

はじめに

一 金田庄の沿革

 1 金田庄の初見史料

 2 金田庄の伝領

 3 金田庄の正平十一〜十二年

二 金田村田畠坪付類の整理と復原

三 金田村故地における条里制耕地の復原

 1 中元寺川左岸における条里制

 2 彦山川右岸、弁城・迫・宝珠地区における条里制

 3 赤池町市津、石松周辺の条果

 4 上金田・東金田の条里制

 5 金田・宝見・黒尾の条里制

四 金田村における名と耕地

 ア四郎丸名

 イ南木久永名

 ウ宮得名、エ石松名・土内名

 オ久永名 カ黒王丸名 キ用王丸名 ク得松名 ケ末里名 コ成松名 サ正弘名 シ直方村 

小括と残された問題

むすび-名と勧農

第六章 肥前国長嶋庄と橘薩摩一族

はじめに

一長嶋庄の成立−根本開発領主の群像

 1 権門領(前段階)長嶋庄の寄進主体

 2 蓮花王院領長嶋庄の成立

二長嶋庄入部までの橘薩摩氏

 1 出自

 2 御家人橘薩摩公業

三 条里制耕地の復原作業

 1 坪並の復原

 2 条里(里名)の復原

四 花嶋村地頭の所領構成−名と十楽浮田

五 地頭橘薩摩一族による村々の支配

 1 公員流 

 2 公助流

 3 公義流

六 村立事−長嶋庄における南北朝の動乱−

七 文書の伝来−むすびに代えて

残された課題

第4部 中世城館の研究視角

第一章中世城館論--近世城郭への連続と非連続

一 中世城館の特質

二 中世城館の機能

 A交通との関係

 B集落との関係

 C中世城館の日常的な支配機能

 D軍事面からの考察

第二章 飛脚篝によせて

一 のろレマラソンー飛脚篝

二 近世の「のろし」史料

 1萩藩の場合

 2岡山藩の場合

 3長崎周辺の峰火台

 4福岡藩の場合

 5佐賀藩の場合−江戸ヘ廿四時

 6大村藩の場合

 7薩摩落の場合

 8土佐藩の場合

 9和歌山藩(紀州藩)の場合

 10弘前藩の場合

 11西蝦夷地の場合

 12琉球王国の場合

三 飛脚旗

四 城館と鐘・太鼓

むすび

成稿の過程

あとがき


一覧へ戻る