服部英雄のホームページ

あなたもふるさと学芸員 「続・神埼塾」の講演から@

演題 神埼の地名〜地名から歴史を読む  講演者 九州大学比較社会文化研究院社会情報部門教授 服部 英雄 地域のしこ名を後世に残そう  延べ2000人が調査に  中世の荘園だった神埼地区をはじめ佐賀平野には、土地台帳には載っていな いが、地元の人だけしか知らない古い地名・しこ名がたくさんありました。と ころが、そうした地名を知っている人が高齢化した上、圃場整備によって、ク リークや農道、あぜなどの区画が変わってしまい、このままでは、口承で地域 に伝わってきたしこ名が消えてなくなってしまう恐れがありました。  古いしこ名は土地台帳などの記録には残っていないが、地域生活の中で命名 され、多くは古代以来口承されてきた歴史遺産であり、歴史研究の大切な資料 として後世に伝えるべきだと私は常々考えていました。  そこで、1994年7月から大学の学生たちとともに、バスや自転車で各地へ入 り、地域の古老や区長といった方々から古い地名を聞き取り調査しました。3年 がかりの調査で、参加した学生は延べ2000人、調査した村、今で言えば大字に 当たりますが、700に及びました。しこ名の由来を調査・分析するとともに、地 図に落とし込み、2001年に「二千人が七百の村で聞き取った二万の地名、しこ 名〜佐賀平野の歴史地名地図稿」という本を花書院から出しました。  条里制の名残多い地名  神埼にみられる地名では条里地名がまず古い。牛馬耕に適した碁盤の目に土 地を区画整理し、長地という一反の田を並べた。水利土木工事もした。とても 大変な事業でした。条里制は9〜10世紀にはできたといわれますが、完成まで には恐らく100年も200年も、もっと長く数百年はかかったと思います。  佐賀平野には日本でも有数の条里制が残り、それを記した古文書もたくさん ありました。神埼荘が蒙古合戦の恩賞地として分割配分されたことで、関係地 名が多数記録されました。居去里(諫里)とか吉野ヶ里とかが、条里の里の方 です。三根郡境から順番に西へ一条、二条と、条里の条も定められています。 十条があります。明治政府は一本柳から八本柳、あるいは一本松から四本松ま でというように、数字と植物名を組み合わせた地名を機械的に命名し、それが 今日まで土地台帳に残っています。  30年ほど前の圃場整備で条里制による区割りはほとんどなくなりました。し かし、神埼町の駅ヶ里、平ヶ里、千代田町の十条、東野ヶ里などのように、条 里制の名残を示す地名が神埼市にはたくさん残っています。  私が今日取り上げるのは、土地台帳などの記録には残っていないが、地域の 人たちが口承で伝えてきた古い地名・こうしたしこ名です。学生たちとともに、 古老に聞き取り調査し、2万のしこ名を地図に落としたと申し上げましたが、そ の主なものを神埼市の例から拾い出してみましょう。  しこ名は地域の歴史遺産  ジャアバ? コウクタ?  神埼町仁比山地区の「エンシュウ」や佐賀平野に多い「エンショウ」という 地名は、調査の結果、語源は「煙硝庫」であり、火薬庫があった所でしょう。 大体、戦争に使う火薬庫は秘密裏に城内に作るものですが、佐賀藩では各地に 分散配置していたことに由来すると考えられます。  神埼町岩田地区で拾った「ジャアバ」は佐賀藩の射撃場があった所、つまり 「台場」です。石井ヶ里、馬郡あたりに「イセメン」「セイフクジ」というしこ 名が何ヶ所かありましたが、前者は神社のために免税になっている祭り田、後 者は勢福寺城を維持するための免税田と考えられます。志波屋の「カグラデ」、 平ヶ里の「カグラメン」は「神楽田」「神楽免」と推測され、神社にかかわる免 田のあった所と言えます。  「ハサコ」名も多いが、これは畑と畑に挟まれた細長い田んぼの意。神埼町 尾崎西分に「オオウミラクチ」とありますが、小城や武雄で聞き取り調査の結 果、「ミラクチ」は「水口」、つまり水の取り入れ口であり、「大水口」からきて いると思います。  神埼ヶ里にある「化粧田」はなんとも優雅なしこ名ですが、嫁入りのときに 娘に持たせてやった田んぼのこと。娘への愛情を表現するしこ名です。神納に 「ヨジャク」がありますが、「ヨウジャク」も含めて県内各地で検出される普遍 的なしこ名であり、語源は「用作」、これは領主の部下の直轄手作り地と考えら れます。  佐賀平野で「乾く」ことを「コウク」といいますが、「コウケダ」は水がかり が悪く、乾きやすい田んぼに由来するしこ名です。「セイサツ」というしこ名も 尾崎や千代田町小鹿、東野ヶ里、下西、藤木東などにあります。いずれも村の 入り口や郡の入り口にあり、外部の人を警戒する「制札場」があった所に違い ありません。神埼町姉川の「カミャーグチ」は「構口」、荒堅目の「キンド」は 「木戸」であり、「セイサツ」に似た意味でしょう。  類似地名の観察が大切  千代田町姉の「ケイツグロダ」、嘉納の「ケーツグロ」は水鳥の「カイツブリ」 からきており、カイツブリもすみつくほどの低湿地で、水がたまる所を指しま す。荒堅目の「イニイズミ」、千代田町川崎の「イヌイズミ」、渡瀬の「イニイ ズミバシ」は、いずれもムラの西北の角(戊亥角) にあることに由来します。  姉川や尾崎、千代田町上直鳥、東野ヶ里の「チイキバシ」「チャーキーバシ」 「タイキバシ」は馬の鞍の形に由来し、中央が高くなっている橋の意味と考え ます。「チイジ」というしこ名が神埼町北部仁比山、城原地区のあちこちにあり ます。「築地」がなまったしこ名であり、堤防状に築かれた所です。「ノウシロ」 「ノウシロダ」の語源はいうまでもなく「苗代」です。苗代向きの地という意 味でしょうか。  私の経験からすると、一見理解しがたい地名も、いくつかの類似例を集めて いけば、おのずと意味が分かる場合が少なからずありました。地名を理解する には同じ地名の多くに接すること、類似の地名を集め、現地に足を運んで聞き 取りを進めるか、自分で観察してみること。そうした作業が不可欠です。その 地域独特の発音、方言や歴史的な言葉が今日どのように伝わっているのかの考 察も必要になってきます。  述べ2000人の学生とともに聞き取り調査に当たったといいましたが、学生た ちの出身地はさまざまで、佐賀なまり、佐賀方言に少なからず戸惑ったと思い ます。仮に佐賀県出身の学生でも、おじいさんほどに世代差のある古老の話の 聞き取りには相当苦労したでしょう。中には、聞き取り違いもあったかもしれ ません。そうした点をご指摘いただけたらよりよい歴史遺産が後世に残せると 思います。

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