わが回想の百名山 大韓民国 智異山天王峯1915m

2008.11.30〜12.01東北アジア文化学会(公開講演)のあとに

11.30 パークホテル715趙正民さんが迎えに→釜慶大学校730金■?姫さん、チョさん に合流→南河サービスエリア・つぎのSA にて金美子(キムミジャ)一行と合流、みな、わたしの靴を見て「ビブラム!」と、 驚く。40年前、東京ふたば製、底皮が縮んで釘が出てきた。足裏が傷つくのでサ ンドペーパーで釘の頭を削って、中敷きを用意してきた(釘は竹釘だとあとでわか った)。  晋州をすぎると高速道路の前方に真っ白く荘厳な山が見えてきた。あこがれの智 異山・チリサンである。 →登山口チョンサンリ(中山里か)にて釜慶大山岳部員と合流、昼食、大きな木の ある食堂で金美子隊と合流の約束が、サクラノキとフジノキとの差で別の店になっ てしまった。14時前出発。以前国立公園は入山料を取っていたがいまは要らない。 橋のところにいた人がこの3時間ほどで雪がとけてしまったといっていた。真っ白 だったのだろう。かい割り岩(刀岩)、ついで災害防止監視塔。98年に急激な出 水があり、川で遊んでいたキャンプしていた人たちが亡くなった。それ以後の設置。 以前はとてもよいところだったという。きれいな渓谷もあって魚もいるみたいだっ たが、上流は一部荒涼とした河原になっていた。日曜日だから、すれちがう人がと ても多い。アンニョンハセオ、コマスミニダで通じる。わからなければネェといっ ておきなさいといわれた。「智異山の気をいっぱい吸ってきてください」という人 もいる。途中から雪になる。後発隊への目印に雪にミジャと書き残す。水害で荒廃 した河原で合流。チャンドムック山荘到着17時半。アイゴウ、チッケッテヨ。な んとかヘッドランプをつける以前に到着できた。夕暮れ、西の空に月と明星と木星。 おしりそっくりの山(チョさんがそう説明してくれた)から、老姑壇(ノゴダン) まで一望できる。ここはヂャン(市場)のあったところ、郡が異なる二つの山麓か ら登ってきた人たちが、ここで交易をしたという説明を聞いた。 こんな高いところでと不思議に思う。小屋は窓口で料金を払った人数分、毛布を貸 してくれる仕組み。寝室は二階と三階。男性が二階、女性が三階と別れているのは 日本の山小屋とはちがう。食堂はないので一階の炊事室に入る。水場が凍っている。 山岳部は3D(diffcult,dirty--)で人気がない。釜慶大学校山岳部員も一年が、おら ず、二年生が水汲みに。韓国の大学山岳部員は上下関係が厳しい。わたしは保温用 のズボン下をはきわすれていて、そのせいか、かなり寒かった。  韓国の山小屋では炊事場で食事をする。多くの人は立ったまま。われわれはシー トの上に座って食事。キムチチゲにポッテギ、20キロの米を担ぎ上げてくれた部 員に感謝。同行してくれた山岳部OBにはチョモランマの登頂者や、マッキンレー 登頂者がいた。ミスターチョモランマ(徐ソンポさん)はこの夏にマナスル・ダウラギリ・ ナンガーパルパッドの1シーズン連続登山を行うということで、成功すれば史上初になると のことだった。ミスターマッキンレー(Mr.Londonは植村直己が好きなようだった。そりを引く 犬の名前がアンナ、『アンナあれが町の灯だ』という本があると教えてくれた。日 本語題『極北に駆ける』のことだろうか。ウエムラナオミは全世界で読まれている らしい。韓国はもてなしの国。やがてほかの宿泊客が寝室に引き上げて我々だけの 大宴会になった。かれらに山の歌を所望、雪岳山(ソラクサン)の歌、ザイルの友 などを歌ってくれた。ソラクサンの歌は遭難した友をしのぶ歌。 すぐに管理人がここはカラオケではないと叱りつけにきて、自己紹介になった。 独島は韓国のものだといわされそうになる。  寝室は暖房(オンドル)も効いて快適。ときどき隣人の足が進入してきて、目が覚めた。 12.01  朝、日の出を見ようなどと、いっていたのに、寝過ごした。日は高い。天気は快 晴。山岳部員はおきて朝食の準備中。みなもゆっくりめ。アイゼンをつけて歩き出 したのは8時も過ぎていた。急な上りのあと平原状の台地へ。木が余り生えていな い。立ち枯れたような木が一本だけ立っていた。南北戦争の時、ゲリラを追い出す ため、山を全部焼いたからだという。ほんとだろうか。六〇年あれば樹齢は六〇年。 ふつうなら植生は回復するのではなかろうか。ここには木製デッキ(展望台)があ った。そのあとも快調な上りが続いて、岩の門をくぐるところがあった。階段が付 いている。やがて天王峯へ。手前に広場があってヘリポートとのことだった。 韓国人の気像は智異山に発現する と書かれていた。もとは韓国人ではなく慶尚道人であったのが、いつの間にか変わ ったそうだ。  そこより急な下り。鉄の階段も多く、途中でアイゼンをはずしたらたちまち滑っ た。ミスターチョモランマやマッキンレー氏らはノーアイゼン。  下っても下っても寺が見えない。見晴らしのよいところでポケサ・オディエヨと 叫んだら、そこから一〇分ぐらいでぽんと門の前に着いた。湧き水がある。ロータ リ山荘で軽めの昼食。日本と同じようにロータリー倶楽部の山小屋という意味らし い。お寺に参詣。本堂はなく韓国の文化財指定を受けている三重石塔(舎利トウバ) が中心ということだった。山神堂があって、虎を従えた三人の山神の画像があった。 下りはじめるとヘリポート。ここから下がひどく長かった。予定時間を大幅に超過 して登山口に着いた。わたしもそうとうくたびれていたが、自分一人の責任でもな く、女性陣のうち二人はもっとはるかに遅かった。登山口で会食する予定だったが、 時間がなくなって、そのまま釜山へ。わたしは車中爆睡してしまった。釜山ではプ ギョン大学・ユンイル先生たちと、かねてより所望していたわんちゃんを食べに。 逸物まであって、なかなかの珍味だった。 智異冠雪 慶尚道の気は 此処に出づ

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