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蒙古襲来
朝日新聞・3月22日、本郷和人書評の誤り
服部コメント その2 本郷書評末尾の文は 元は伝統的な華夷(かい)秩序の樹立を望んだ。だから幕府が対応を誤らなければ元寇はなかった、と いうのが主流学説ではなかったか。だが硫黄の入手を切望していたなら、攻撃は不可避だったことにな る。 大事なのは神風の有無か、元寇の目的を東アジア情勢の中で考えることか。本書は考察の力点を誤っ ていまいか。 となっています。この本郷見識が誤りです。なぜかといえば当時、元は中華帝国の主では ありません。中国には宋という対等な国があって、元はそのうえに君臨していません。宋 と元との間に朝貢・冊封・正朔はなく、宋の年号と元の年号はまったく別で、相互に対等 な力を持ち、戦争もしていました。ですから、文永段階に元が華夷秩序樹立を求めたとい う認識自体が誤りで、元は宋を滅ぼすことが至上課題です。本郷和人はあやまった認識で、 服部の著書を否定しています。幕府が対応を誤らなければという点も理解不能で、当時親 宋国であった日本が敵対する元と親交を結び、宋滅亡に協力するという意味だとすれば、 その見通しは非現実的です。主流学説が何を指しているのかもわかりません。 また「何より冒頭で、フビライの出兵意図を、十分な根拠も示さず「日本の硫黄が欲し かったため」と決めつけたのには驚いた」としていますが、本書24頁にてほぼ1頁分を 使って、軍事物資としての硫黄の重要について詳述しており、本郷はこの部分さえも読ま ずに書いたとしか思われません。 その1 主流学説がつねに正しいのなら、学問研究は要らない。定説(=主流学説)を 不断に検証する作業が必要だ。全てが史料として残されたわけではない。史料 にあるとおりだけを叙述していたのなら、その作業は通訳・翻訳ではあるが、 歴史学の仕事ではない。史料がないところについて沈黙していたのでは、ほん とうの歴史の解明にならない。史料がないところは大胆に推測する。その推測 (仮説)の当否を、研究者が議論すればよいのではないか。矛盾があれば、具 体的に指摘してくれればよい。 本郷氏がいうような、華夷秩序の実現を求めて戦争が始まったという、従来の 説があって、定着していたのかどうかよく知らない。そうした説明があったに せよ、今ひとつ納得がいかなかったから、より現実的な説明が要請されていた のではないか。 元は周辺国に対して通常の華夷秩序ではなく、特異な支配を行っている。高麗 など周辺国王・王子を元の首都である大都に住まわせたり、元皇帝の子女をそ の嫁にして縁戚にするなどした。それを実現させるために戦争をしたのであろ うか。 私見については、誤っている、という決めつけ(=否定)、黙殺ではなく、みず からのことばで議論をしてほしい。資料解釈や状況解釈に矛盾があるのなら、 そう議論すべきではなかろうか。 「いったという」。「ものではないらしい」。「集めるのだろう」。 という、ストレートではない、いいまわし(=表現)も、評者(=判断する人) のことばらしくない。 ・--------------------------・