○大雪山 70/7 由利 ○トムラウシ 70/7 由利; 88/8 クワウンナイ川遡行<単独> ○十勝岳 70/7 由利(ものすごい雨、道が見つからず2日ビバーク) 十勝岳 、トムラウシ、大雪山の三山は大学2年生のときに北海道の山を連続し て縦走したうちの一連。周遊券で回れる範囲、日高も芦別も登った。美瑛岳の小 屋が見つからず、雨の中を二日もビバークした後、おりかけてやっと小屋が見つ かった。山小屋に入って幸せな気分になって着替えをした。そのときムッと乞食 のような臭いがして、まわりの人がいやな顔をしたと由利が言っていた。地元の かわいらしい女性もいたように思うのだが。このあとぐんぐん天気が回復してい った。トムラウシ手前の草原にテントを張った。花の時期には少し早かったが、 こんなお花畑に張ってもいいのかと少しだけ気がとがめた。18年後にクワウン ナイ川を遡行したときのトムラウシはまた別の山のような印象があった(→百名 渓)。沢は優美で、頂は雄々しくすばらしい。下りの旭川に出る尾根はとにかく 長かった。 ○幌尻岳 70/7由利と。 記憶が薄れたが、確か列車内で話をしていたグループと一緒になり、そのパー ティーがチャーターしていたトラックに便乗させてもらうことになる。急遽登り 口を南側から北側に変更。新冠か静内で降りるはずが富川下車に変更。読んでい たガイドブックにもないコースだった。当時の手持ちの5万分の1地図には書い てなかったが、実際には小屋があり、道がついていた。沢の中を適当に登るよう なコースだった。七つ沼カールでは熊にデポを荒らされる。ピハイロ岳だかに空 身で遊びに行ったら、帰りに稜線から熊がデポ地で遊んでいるのがみえた。取り にも降りられず、しばらくたって、熊がいなくなってから降りてみたら、雪の中 に埋めて置いた肉は無事。しかしビニールに入れたポリタンなどがひっかかれて いた。こわくなって稜線にテントを張った。そののちカムイエクウシカウチまで 縦走した。八の沢カールを経て、帰りのものすごく長い林道は、作業の車に乗せ てもらえた。ラジオで相撲をやっていて、万に一つも勝ち目はない、絶対負けな いと解説者が断定していたのに、勝つはずの横綱大鵬が負けた。由利があんなお もしろい解説はないといっていた。そのあと帯広畜産大の寮に泊めてもらった。 新しい普通の寮だった。 東京に帰ったら福岡大学パーティーが遭難していた。われわれもテントを張っ たそのカムエクの八の沢カールで熊に襲われたのだ。ぼくらの下山後数日だった。 福岡大学ではなく福岡教育大学だったかもしれない。コウロギという名前の人だ った(興侶か)。 2度目は登山口まで。 93/5か <単独>(増水で山に登り出す前の沢道で敗退、山桜はきれいだった。) ◎大千軒岳 88頃か初秋。石崎川右俣川遡行、林道と沢との分岐まで上ノ国町の人に送って もらう。熊よけの運動会用ピストルまで借りた。大きな淵にいた大きな魚が、人 影ですっと消えていく。1カ所シュリンゲを出す。特に危険個所はなし。カンバ の美しい笹山だった。頂上からの津軽海峡を隔てた岩木山は感動的。北海道最南 端の山にふさわしい。その後も一度松前側から知内川の奥二俣川に入った。滝登 りをする気力も時間もなく、釣りをしたのみと記憶する。 ◎暑寒別岳 90/8/30 暑寒荘に泊まる。高倉健の終着駅のシーンで有名な増毛駅の前の 店で鍵を借りるように書いてあったが、実際は開放されているようだった。 とても良い小屋。ポン暑寒別川を遡行した。危ないところは全くない。それほ ど長くもない。岩魚がいることは確認できた。つめを誤り薮こぎ。上はガスだっ たが、途中から晴れる。おりながら山の神尾根からの日本海の海岸線と増毛の町 が雄大だった。戻って暑寒荘で地元の会の大パーテイに合流。管理人もいた。ヤ マベのシンコだったか、岩魚だったか、魚がいっぱい出た。この川は禁漁河川だ からよその川で取ったのだろう。 △芦別岳 70/7 由利(天気が悪く何もみえなかった)