ー楠峰レポートー
         前田 佑樹
             
                   
                       
                   
        山野 洋一郎
             
                   
 
    訪ねた村:楠峰
    聞き取りした人:山口 真雄 さん 他2名
    
    しこ名一覧;田   
            シンツツミ(新つつみ)
            ヒョウジャタニ(ひょうじゃ谷)
            キイノキ(きいの木)
            ヨシノタニ(よしの谷)
            スゲンタニ(すげん谷)
            ミュウシュウ(みゅうしゅう)
            ヌタバア(ぬたばあ)
            ウランタニ(うらん谷)
            フルツツミノモト、シモノタンナカ(古堤ノ元、下のタン
                                                                     ナカ)
 
          畑
            マツバラ(松原)
            ガンシロウ(がんしろう)
            カンズヤシキ(かんず屋敷)
            カンノンサンノウエ(神のんさんの上)
 
          田畑
            テラヤシキ(寺屋敷)
 
          他
            タツイシ(辰石):目印になる大きな                           石。楠峰と袴野の境 にある。


                                        
            コロブトコロ(ころぶところ):草スキーができる。
            ゴンゲンジンジャ(ごんげん神社):祭りが行われる。
            イチンサカ(一坂):地名。
            ナカコガ(中古賀):地名。
            ニシコガ(西古賀):地名。
            ツウヤマ(つう山):地名。
 
    話の内容
         ・昔は、水は山水を使っていて、川から流れてくる水を3つに分
                   けて、洗濯用、野菜を洗う用、飲み水用に分けていたそうであ
                   る。
         ・楠峰で使っていた川は、じんねん川と言って、じんねんじいさ
                   んという人の川だったことからそういう名前が付けられたそう
                   である。                
         ・水道は、平成2年か3年ごろに通ったそうである。
         ・今では、車があるが、以前は耕運機、その前は犬ぞりのように
                   牛に引かせて、いろんな物を運んでいたそうである。
         ・祭りは、年に2回あり、1999年は、4月20日と、8月
                   21日にあったそうである。中身としては、おにぎり、おにし
                   め、豆などを持って、お参りをして、おさいせんを投げるなど
                   である。
         ・正月は、じんねんさんにお参りして、飲み会をして、新年のお
                   祝いをするそうだ。
         ・昔は、うさぎ、たぬきが主な食料で、にわとりはごちそうだっ
                   たそうだ。
         ・山口さんは、牛を一頭飼っていて,トラクター代わりにしてい
                   たそうだ。
         ・楠峰には、昭和のはじめには、家が50か60戸あったそうだ
                   が、今では19戸しかないそうだ。
         ・4年前の干ばつの時、山水のおかげで飲み水などの生活用水は
                   だいじょうぶだったが、田はかれてしまったそうだ。
         ・畑では、以前までは野菜を作っていたが、最近ではみかんやか
                   きなどの果物、お盆に供えるホーズキという花などを作ってい
                   るそうだ。
         ・家の周りや自分の土地(田畑も含む)のことをやしきと呼んで
                   いるそうだ。
         ・村の電気は、戦前に通るようになったそうだ。(昭和20年ご
                   ろには、すでにあったそうだ。)
         ・プロパンガスは、30年か40年前にきたそうだ。
         ・ブラクごとにはそれぞれ1つずつ区有林があるそうだ。
         ・プロパンがくる以前、そして今でも少しは、山の木でたき火を
                   していたそうだ。また、林のおかげで,木には困らなかったそ
                   うだ。
         ・田の肥料としては,牛の糞,木を切ったあとの枯草を使ってい
                   たそうだ。
         ・昔はヤギもいて、ヤギと牛のミルクを搾っていたそうだ。
         ・米の保存には、もみ倉というものを使っていたそうだ。
         ・昔は、冬には、わらじやぞうりを作ったりと、いろいろな仕事
                   があったそうだ。
         ・塩は塩水を汲んできてつくり,砂糖はブラクごとに共同購入し
                   ていたそうだ。
         ・「村まで下ってきた」の「村」は、農協や郵便局というような
                   意味でも使うそうだ。
         ・村には、東京オリンピックの1年前に初のテレビが来た。その
                   テレビで初めてプロレスを見たとき、「これがスポーツ?人間
                   の喧嘩じゃないか。」と、思ったそうだ。また、テレビがくる
                   以前は,ラジオをよく聞いていたそうである。
         ・娯楽としては,祭りのときなどの餅つきや相撲がいちばんだっ
                   たそうだ。また、正月などの相撲では、他の村から遠征に来た
                   人達(大体の場合はこういう人達は強いが)に、わざと勝たせ
                   て、勝った景品として餅を持たせてやるそうである。
         ・村には井戸があり、冷蔵庫代わりにしていたそうである。
         ・木をたたきおとしたかきや芋を乾燥させて、保存食にしていた
                   そうである。
         ・子供の時の遊びとしては,女の子はどんぐりやかしの実(ビー
                   玉は高価で買いきらなかった)や、縄(なわとびは高価で買い
                   きらなかった)を結んでなわとび代わりにして遊んでいたそう
                   である。男の子は陣取りや竹とんぼ(ナイフをいつもポケット
                   に入れていて、鉛筆削りにもしていたそうだ)や、山で罠を作
                   って遊んでいたそうである。
 
    最後に、今回の調査の途中に道を教えてくださった人々、そして誰よりも昼
     食までごちそうして下さって暖かく迎えてくださった山口さん一家には、本当
     に感謝しています。    
 
 

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