≪聞き取り相手≫

・川副正弘氏:昭和1°年10月27日生まれ (寺浦)

・原口未弘氏:昭和8年7月8日生まれ (郷ノ原)
≪聞き取り≫
永住幸輝
福嶋啓至

≪村の範囲≫

 詳しくは地形図の方を参照していただければ分かるが、一応触れておく。かつての寺浦

の範囲は地形図中にある寺浦という名称の地域と大部分が重なっている。−方かつての郷

ノ麻の範囲は地形図中にある郷ノ原という名称の地域とはやや違い、より寺浦よりである

と言える。いわゆる部洛の境目は山などとされていたらしいが、正確な境目はなく、大ま

かなものであったということである。



≪シコ名≫

※この地域では、シコ名が田だけにしか付いていなかったのでタンナカという総称を用

いていた。

村の名前:寺浦

  @コフカタ

  Aコイノマル(恋の丸)

  Bヨチガイ 又は チャエンバヤシ(茶園林)
  Sトウポシダ(唐干田)
  Dテラウラ く寺浦)

  Eオオマタ(大又)

  Fダイエンジく大円寺) f

  Gイケダノタニ(池田の谷)

 他に場所は特簸できないが、ハタケダ(畑ケ田)・ケンヌキく刀ぬき)・モットウシ(持

当)・オオツボ(大坪)というものがあったらしい(紫線に囲まれた地域)。

村の名前:郷ノ原・

  Hハリガワ く張川)

  Sゴウノハラ(郷ノ原)

  Sゲンサイバラ(源才原)

  Sカミタテイシ(上立石)

  Sアイゾノ く相園)
≪周辺地域≫

 Mナナツエ(七杖);川を挟んで北永野区域
≪水利≫

※ここでいう使用地域とは、上記のシコ名をさすものとする
○八ノ久保溜池

 使用地域;ゴウノハラ・ゲンサイバラ

○摺古木溜池

 使用地域:この溜池は八ノ久保溜池の予備溜軋
○仁位道溜池(後述)
 使用地域:コフカタ・コイノマル・ヨチガイ(チャエンバヤし・トウボシダ
     ・テラウラ・オオマタ・ダイエンジ・イケダノタニ

○六角川

 使用地域;ハリガワ・ゴウノハラ・ゲンサイバラ・カミタティシ・アイゾノ
      ・ナナツエ  

 ≪調査内容≫

 この地域では前述のように田畑にのみシコ名があったようだ。寺浦地域ではわずか
な範囲にシコ名をもつものが集中している。この寺浦という名杯の由来は、かつての
寺浦地域の南部にある瀧谷の堤という小さな溜池の付近に寺があって(現在では基地
がある・図中蛍光ピンク)、この寺浦という地域が山を挟んでこの寺の真にあるのでこ
の名稀がついたそうだ。名林の由来に関連して、‘シコ名の由来について知り得た範囲
で述べておく。ダイエンジというシコ名は漢字の方を見てもらえば分かるのだが、か
つてこの地には大円寺という寺があってそれが由来になっている。
 昭和82年頃からこの地域でも園場整備が始まり、水路も整備されたので湿田であ
ったイケダノタニあたりも屯田となったそうだ。そして、区画も整うとシコ名はもは
や不要となり、より広い範囲をどれかのシコ名をとって呼ぶようになり、それが寺浦
であり、郷ノ原であるようだ。そう考えると、地図にある郷ノ原とかつての郷ノ原が
合致しないことにも鍋得がいく。この園場整備と平行して長崎自動車道が建設され始
め、この材にもいくらかの影響を及ぼすようになった。経済面では付近サービスエリ
アにおいて雇用が発生して幾分かのプラスになったが、道路から油を含んだ雨水が流
れ出して少なからず溜池の水を汚染し、悩みの種となっているらしい。また、道路用
地として私有の田畑が道路公民に売却されて、何らかの財政的問題が生じたそうであ
る。
 水利についても少し触れておく。基本的には川沿いの地は川から水を引き、その他
は山の溜池から水を使い所にある田に流すというものである。郷ノ原の場合にはこの
方法でも栂題はなく、自分の地域にある溜池で水をまかなっている。一方寺浦では、
隣接した焼山地域にある仁位運河池から水を引いている点で郷ノ原と違いがある。確
かに仁位道溜池は焼山地域に含まれるものではあるが、その管理は南永野が行ってい
るので、その水は寺浦の方に引かれているわけである。また、六角川にはウチダ地区
に井堰がある。
 また、村の暮らしについても述べておく。主食は米・麦・甘薯。海産物については、
長崎方面や有明海のものなどが入ってきていたようだ。塩は戦時中庄屋による専売が
なされていたようだ。各家には労働用の役牛がいて⊥たいていその牛は雌牛であった
そうだ。また、博労もこの村におとずれ、取引がなされていたようだ。この村では主食と
して米があげられているが、青田売りはなかったようだ。
 村の娯楽についても触れておきたい。若者は若者宿に集い、「よばかい(飢もあっ
たそうだ。これが何を音味するのかは詳しくわからなかったが、相手の意味探な笑顔
からそれが何を音味するのかは知り得たような気がする。また、浮流という集りとい
うべきものがあるそうだ。さらに、お脂というお集りが11月14日に行われ、太
陽への感謝を表したよう温
 最後に、この調査に協力していただいた川副さんは声帯を手術し、声が出ないのに
紙に言葉を書くことでいろいろな事を教えていただいた。その熱意に特段の敬意を表
す意味でここに記しておく。



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