その1(1977〜1993, おもに文化庁時代)

(* を付したものは上記著書のうち1『景観にさぐる中世』に収録したもの) 1 1977年 『政基公旅引付』が記さなかった下剋上の中世村落                       『遥かなる中世』1、12-15、および11頁 2 同年 戦国相良氏の三郡支配 Government Policy of the Sagara,Sengoku Daimyo of Three Districts of Southern Higo,Kyusyu         『史学雑誌』86-9、1-42頁 3 同年 九州探題の肥前守護職兼補についてー南北朝以降ー                            『遥かなる中世』2、20-23頁 4* 1978年 開発・その進展と領主支配ー肥前国長嶋庄と橘薩摩一族ー                           『地方史研究』152、11-38頁 5  同年 空から見た人吉庄・交通と新田支配 A Bird`s-eye View of Hitoyosi-no-syo、Higo Province:Transportation Routes and Shinden Development   『史学雑誌』87-8、38-68頁 6 1979年 消えゆく中世の常陸ー真壁郡長岡郷故地を歩くー(共同執筆)                           『茨城県史研究』41、16-34頁 7* 同年 肥前国長嶋庄の開発主体ー条里制耕地の復原と変遷ー      Development of Nagasima-no-sho,Hizen Province:the Restoration of Arable land Patterned on Jori System              『史学雑誌』88-6、1-50頁 8 同年 人吉庄再論    『日本歴史』375、37-59頁 9 1980年 奥山庄波月条絵図とその周辺     『信濃』32-5、17-46頁 10 同年 軍忠状の彼方に Gunchujo:One Step Beyond    『史学雑誌』89-7、1-43頁 11 同年 戦国相良氏の誕生  『日本歴史』388、1-17頁 12* 1981年 中世荘園と館 『日本城郭大系』別巻<新人物往来社> 135-172頁 13*  同年 地名を中心とした荘園景観の復原      ー播磨国鵤庄と周防国仁保庄ーを素材にー                                 『月刊歴史教育』27、31-37頁 14* 1982年 変貌する耕地景観と荘園史研究  『歴史学研究』501、17-32頁 15* 同年 続・消えゆく常陸の中世 『茨城県史研究』48 48-70頁 16*  同年 用作考ー東大寺領周防国与田保における荘園地名ー                              『地理』増刊号、54-61頁 17 同年 続・人吉庄再論    『日本歴史』411、52-71頁 18* 1983年 小地名による中・近世耕地景観の復原        ー能登国万行保・奥原保を素材にー 『歴史公論』86、44-51頁 19 同年 未来年号考 『古文書研究』20、59-86頁 20 同年 相良氏と南九州国人一揆 『歴史学研究』514、21-35頁                  21  同年 歴史資料としての地名の特質と利用法 『地名と日本人』<講談社>、166-176頁 22 同年 未来年号の世界からー日付に矛盾のある文書よりみた荘園の様相ー From the World of the Future Era Name,Mirainengo:The Aspect of the Manors through the Documents of Contradicting Dates 『史学雑誌』92-8、38-65頁 注記:本稿で取り扱った神護寺文書・元暦元年六月日源頼朝下文については林譲「源頼朝文書第一筆蹟について」(『鎌倉遺文研究』23,2009・4)を参照されたい。 23* 1984年 質入れ担保となった備後国地〓(*田比・地毘・じび)庄                              『日本歴史』438、20-39頁 24 1985年 あるき・み・きく歴史学 『日本の科学者』20-4、18-26頁 25  同年 長門国堅田弁財天池水聞書 『遥かなる中世』6 11-30頁 26*  同年 豊前国金田庄故地における中世景観の復原ー南北朝期の名の存在形態ー the Restoration of Kanada-no-sho`s Myo(Buzen Province)and Arable land Patterned on Jori System     『史学雑誌』94-7、63-93頁 27 1986年 その後の能登・岩井川 『遥かなる中世』7、1-32頁 28  同年 松笠考 『遥かなる中世』7 82-90頁 29*  同年 みそさく考 『信濃』38-3、186-210頁 30*  同年 条里制地図作成の必要性についてー特に通称地名の収集をめぐってー    『条里制研究』2、9-38頁 31 1988年 二豊のゆうじゃく

ー現地調査の方法による中世村落史研究への試みー   大分県立宇佐風土記の丘歴史民俗資料館紀要』5、11-107頁 32 同年 荘園調査はなぜ行なわれないのか 『日本史研究』310、142-170頁 33* 1989年 現地調査と荘園の復原 『講座日本荘園史』1<吉川弘文館>、187-254頁 34* 1990年 条里制研究法の再検討ー肥前国神埼郡の条里「計画」村落をめぐってー         『日本歴史』500、156-170頁 35  同年 芦田川本流域の村むら   『国立歴史民俗博物館研究報告』28、135-175頁 36 1991年 平家物語の時代と農業用水 『中世村落と現代』<吉川弘文館>、91-168頁 37 1993年 巻向・穴師の山と水   『中世の発見』<吉川弘文館>174-216頁 38* 同年 中世城館研究の一視角   『千曲』70、1-14頁


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