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HISTORIA DE JAPAM 本版のための注意事項(解題) 以下は序文に付記された校訂者による解題(注意書き)を翻訳したものである。 ナシメント作成の原稿に検討を加えた。この訳は暫定版です。 なお*はリスボン図書館 本注、**は今回の翻訳者の注 -------------------------------------------- 本版のための注意事項 Schurhammmer-Voretzsch版はドイツ語で出版された(*この本の日本語版もいくつ か存在している、**東洋文庫本・柳谷武夫訳ほかを指す)ので、複写法に近い翻訳につ いては問題がなかった。つまり地名や町や人の名前などは現在の表記式つまりヘボン式に 従っている。ポルトガル語の表記はそのままヘボン式でドイツ語に表記されたからである。 またポルトガル語の写本に関する単語の表記の脚注もある。それで現在の読者にとって親 しみやすい方式(**ポルトガル語よりはドイツ語の方が世界的には親しまれているから) を使って、ドイツから日本語に翻訳する方が、もとのポルトガル語から翻訳するよりも簡 単だ(とされてきた)。ただし不便なところ(問題点)は一つあった。ポルトガル語の表記 には正確さに欠けるところがあった。空白な部分や複写した者の読み間違いなどが頻繁に あった上に、国立図書館の古写本9448号を使わなかった。だから、まちがいに気づかず、 直していない。逆にそれほどには理解できなかったせいで、書き落としたりした部分もあ る。時間が足りなかった事情もあるだろうが、解説は深く詳しいものではなく、基本的な も のにすぎない。それでもドイツ語序論と目録は完璧なできばえだ。 作者が期待していた原本が書かれた言語(ポルトガル語版)の普及は二人のすばらしい学 者(**名前は書いてないがSegunda parte da Historia de Japamの校訂者 Pinto, Joço de Amaral Abranchesと岡本良知をさす) によって、第二章Segunda parteが出版されて から、満たされた(付録のdoc10を参照)。 もっとも相ふさわしいかのようにみえた(いつもはそうではないのだが)16世紀の古代 文字表記が使われた(**正確を期すために古語 表現を用いている)。しかし読者にとっ ては文章の意味をつかみにくいから不便である。予 想される通り、編集者たちがときに崩 れた文章を修正してみたが、そのため国立図書館の 9448号の古写本と対照せずに、エボ ラ版『日本イエズス会書簡集』(*2、Cartas de Evora) (1598年)を参考にしてしまった。 全体の脚注が不十分である。日本語の単語と地名などの 現在表記と現在の漢字が提示して あることは便利だが、ときに16世紀の単語と地名に確実に現在の漢字を比定(適用)で きない場合もある。オカモト先生(**岡本良知)がフロイスの文章を日本語のいくつか の原典と比較したことが尊敬すべきことだが、私がある模写を読んだときにしても、ペン で批評を書くAbranches Pinto博士がいつでも完全賛成はしなかった。 この序論に書いてある通りフロイス神父の歴史の写本はいくつかある。1549年から 1565年までと、1582年から1588年までの部分のように写本が世界にひとつしかない場合 は批評家にとってただ訂正と間違った読み方ではないかという疑問の指摘しかできない。 写本が二つ以上残されている章については、しっかり写本相互の違いに留意しないといけ ない。歴史的な解説では、フロイスが使った写本を提示するなかで、1575年の書簡集(* Cartas)も1598年のエボラ版とも何回も引用されている。フロイスが亡くなってから出版 されたものばかりだが、基本的に本人が使ったものと同じものだ。疑わしい場合は、手紙 原本また はもっとも信用できる写本が参考になった。それらはArquivo Romano da Companhiade Jesus(イエズス会のローマ資料館)にあってJap.Sin.,Goa,Lusと分類 されている古写本である。 そのまま読者は自分で正確性を確かめることができる。 脚注を書くためポルトガル語に 導入されている日本語の単語を指摘しているMons.Seb. Rodolfo DalgadoのGlossario Lusor―Asiatico(葡亜辞典)を使った。第1章の解説に Schurhammer神父の脚注を改善し た上で、マツダ先生(**松田毅一)がSchurhammer神 父に送った批評を参考として使っ た。MATSUDAという表記で区別されている。また AbranchesPintoの批評に基づいて、第二 章にOKAMOTOとして表示されている日本語の資料 も使われていた。詳しくはオカモトが書 いた第二章の序説(pp.26-28)とSANSOMという戦 国時代(1392−1568)と安土桃山(1555 −1600)の参考文献、pp.422−423をみてほしい。 出版の規則として下記の基準に従った: 旧式省略は現在の表記を使っている(P.eの代わ りにPadre等)。大文字と小文字は一定されている。写本のアクセント記号が日本語の単語 に残されている(ただし18世紀の写本なので署名の権利がない**無署名である)。 u,v,i,jの文字については古典ではなく、現 在表記に従っている。同様のルールでcedilha も使われている(*cedilhaとはポルトガル 語ç。 それの使用がなければ音声が日本語の、か行に、あればさ行に当たる音になる)。 おそら く日本語に馴染んでいなかったから、このところに写本を書いた校訂者が不安定だった。 ときにcedilhaを入れるべきところに使わないし、ときにçの下のひげの代わりに ccを書く。 しかしそのような校訂に際しての変化を読んだら、よりよく理解できる上に読者は喜んで 満足するだろう。 日本語の単語と固有名詞は国際的に浸透している便利なへボン式に従 い、解説と最終目録に記録されている16と17世紀のヨーロッパ人の宣教師は既にきちん と考えられたルールシステムを持っていた。主なルールは Vocabulario dalingoa de Iapam (長崎、1603年出版)の序文に記録されている。 18世紀半ばで『日本史』の写本を書い たマカオ人たちが当時のポルトガル語表記を使って書いた文章は不合理的な表記がいくつ もあって、日本語の地名と名前(Vomurandono大村殿,Vomuradano)やアクセント表記(例 えばSôtaiとSotai)まで及ぼす。旧式のポルト ガル語と現在の国際ローマ字表記の間に一致しているところが多くて、それを知ってさえ いれば文章はより読みやすくなる。 ポルトガル語でa、o、uの前にcと書きながら(e とiの前はqu)、国際表記の方にはk がある(Coteda=Koteda)。語頭の0の前にVを入れる(特に母音が主音であれば−例えば、 Vochiの代わりにOuchiやVomiの代わりにOmiなど)。語頭のFは現在のHに当たるので Facata=Hakata、Firando=Hirado、Fotoque=Hotoke 等。IはY(IkedaはYquenda)、W はV(例えば、Watanabe=Vatanabe)、çまたはCçはTs の発音、çunocuniは現在Tsunokuniと言い、 普段shとzの代わりにX(例えば、 Shimabara =Ximabara)、ZとVの代わりにg(Chikuzen=ChicugenやZazen=Zagen)、Z の代わりにj (Zen=Jen)。他にもあるけど、読者はすぐに意味をつかみとれるだろう。 下 記の省略も使われている: mlm2,m3=mço primeira,mço Segunda, mço terCeira acr. =acrescenta(*追加) corr.=corrlge,corrigido,etc(*訂正) rep。=repete,repetido,etc.(*繰り返 す) sobrep.=sobreposto (*重ねて置く) o sinal=em lugar de“l”という記号= 〜の代わりに