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峠の歴史学を歩く会

第9回 2011年4月24日(日)小石原川ダム水没予定地と古道栗河内・ハンド仏道、報告

ピーポート甘木で教育委員会川端さんたちと合流。江川ダム堰堤を見て栗河内へ。  

 

集落上部にて川上喜代太さんから七士の事件や山の話を聞かせて頂く。11,15発

旧水路を行く。 木馬道へ出る。縁石明瞭。

縁石あり。 縁石あり。えぐられて一部崩壊。

石垣積みが良好に残るところもある。上から 

エノハのようにみえるけれど、弱っていたのか逃げようとしない。

昼食、体調不良組は引き返すよう指示。しかし下山したのは女子3人のみ。意外だった。

13時出発。悪いことに雨が降り始めた。このあとさらに悪路となって学生も泥だらけになってしまった。

炭焼き窯で目印のテープを見失う。正しくは左の谷(小杉谷)が登山道。ただしテープの ある道は悪路。前の急斜面を直登。途中で横切る作業道があった。あとでGPSで確認した ら少し西に戻り気味に登っていた。 尾根の上まであがれば林道は近かった。教育委員会中島さんと携帯が通じ、われわれの声 が聞こえるという。林道にて待機してくださった中島さんと合流、林道が斜面を切ったた め尾根にはあがれない。少し西に行って、そこよりハンド仏へ。

 右下の小さな仏様がハンド仏、 このまわりから□安元年(慶安元年)の文字を含む陶片が出土している。

ハンド仏、既に15時を過ぎていた。川端さんの説明を聞く。般若心経読経。林道で女子5 人が中島さんの車で下山。2,3号車はもとの道を。1号車組(服部引率組)はテープに 従って直接谷へ下山、これは道標にしたがった道なのではあるが、悪路だった。

ぼくのまえに道はない。 ぼくのうしろに道はできる。 道なき道を行った1年生、2年生のみなさん、ごくろうさまでした。天気が悪かったのと、 道が悪かったので、たいへんでした。 でも人のやらないようなことをしないと新しい研究はできない。わたしはそんなふうに考 えています。


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