『地名の歴史学』 服部英雄 『地名の歴史学』(角川叢書)を上梓した。地味なテーマだと思うが、おかげ さまで、歴史関係の雑誌や新聞二三にも紹介してもらった。地名は身近にある。 本書の冒頭で、福岡の「那の津」の「那」が、金印の「漢委奴国王」にみる「奴」 (奴国)に由来すること、唐人町が文禄慶長の役に連行された朝鮮人らの住む町 に由来する地名であることを述べて、導入とした。地名はまさしく身近な歴史史 料だ。しかし身近にあるにも関わらず、地名というテーマはいままで歴史学・学 問の世界では、取りあげられることが少なかった。その点に新味があったのだろ う。 本書でわたしがいちばん書きたかったこと。それは自らの足で、地名を調査し、 収集し、研究する楽しさである。本書では地名へのアプローチを三つ用意した。 (1)地域(ムラ)に入って、古老から地名の聞き取りをする。地名には行政地 名である小字もあるし、私称、通称であるよび名(九州では多くしこ名という) もある。地名をたくさん集め、地名に関わる村の記憶を思いおこし、語ってもら い、記録する。 (2)一つのキーになる歴史地名を集めて調査し、分析する。 (3)古文書のような文献の記述と現地を対応させて、過去の歴史的景観を復原 する。 まず(1)の手法について。どの地名にも生活の知恵と記憶がある。 川、橋、井堰、道、樹木、田、堀、用水、畑、焼き畑(こば、きいの)、山、 岩、滝、峠ーーーー あらゆるものに地名が付され目印になった。海の底にも地名はある。海中に根と 呼ばれる場所がある。山の尾根が海中に続く。それが根で、一〇メートル近い海 底ではあるが、浅根とか大根とかの地名が付く。この根と根の間の海が漁場にな る。重要な漁場の境として、それぞれの根は古文書にも記され、字(あざな)と も呼ばれた。 地名を語る人々には記憶と思い出がある。無数の記憶には、いくつもいくつも 印象に残るものがあった。 平野のなかの用水堀。「あんふとか(大きな)堀はサンゼっていった。夜中に カワウソのバーンと跳ねる。えすかもん(こわいから)、とおられん」。カワウ ソ(カワソ)は河童と同じく想像上の動物。子供にはよほど恐ろしい存在だった ようで、危険な堀に子供が近づくことはなかった。 山のなかに「かんばのきわらだいら」という地名がある。旅行者には樺の木が 生えている場所というイメージしかないが、その皮をはぎ、盆かんば(香)とし て里に売って暮らしをたてた。山での生活者にとっては、だいじな場所だった。 地名を手がかりに、無数の記憶が記録され、むかしの暮らしがよみがえってく る。 つぎには(2)の方法をとった。本書では焼き畑地名である「かのう」や、中 世の禅僧の宿泊所に因む「旦過」を追ってみた。旦過は九州では小倉の旦過市場 が有名だ。調べてみると、九州では福岡市の姪浜や、今津、熊本市や玉名市ほか 数カ所にあって、みな港町や渡し場、つまり交通の要衝だった。今津、熊本には 温泉の跡もあった。中世にはよほどの繁華街だった。そんな人だかりのなかに禅 宗寺院があって、著名な蘭渓道隆、南浦紹明、大智といった禅僧の活躍が記録さ れている。その周辺に旦過があった。旦過は禅僧の無料宿泊所だったから、やが て「乞食坊主」が、たむろするようになる。物乞いで生活する「乞食」は差別さ れる存在でもあった。調べていくと、繁華街でのかげの側面も、おぼろげながら 浮かび上がる。 (3)では古文書に登場する地名を、逐一現地にさがし求め、それを手がかりに 中世のムラの景観を復原した。(3)の作業は(1)(2)との反復にもなって いく。中世のムラには、ふつうの一般農民の耕地の他に、領主(地頭)の田であ る用作(ユウジャクということが多い)や、用水維持のための共同水田である井 料(イリュウということが多い)、そして同じく仏神田(仏供田ブックデンとか 天神田テンジンダとか)があった。いずれも地名によく残る。事例を集めていく とその三つの田が、隣接して一地区に集中している例がいくつも見つかった。用 作は村人と対立する領主の田のはずだったが、村人にも必要な井料や仏神田と同 じように配置されていた。そこには異質性ではなく等質性が感じられた。用作も 飢饉の年の種もみの確保など、ムラの再生産に重要な役割を果たす。そこにムラ の調和があった。 このようにして地名を手がかりに、少しずつ身の回りの歴史が復原されていく。 いまわたしは(1)の方法を徹底して実践すべく、勤務校の学生たちと佐賀県で の地名調査を続けている。七年半をかけてきた。市町村でいえば五市三三町五村 (計43)が終わり、未調査は二市四町(計6)となった。先も見えてきた。佐 賀では明治期の小字の改変が著しい。みなの努力で、消えるはずだった地名を記 録できた。地名愛好者は多いと思うが、一つの県の全部の村の古老たちから聞き 取りをし、地名を収集する。そんなことを試みた人は寡聞にして聞かない。そう いう意味では、わたしはよほどに地名に「はまった」人間であり、それ故に本書 を執筆する資格があっただろうとは思っている。